アキハバラ事件犯人の母(3)
職場を転々と変えながら「流浪」の生活を続ける智大にも、楽しみはあった。一つは子供の頃から関心を持ち続けていた自動車をいじることだった。彼は中学生の頃から、目の前を通り過ぎる自動車の型式や車名をすべて言い当てることが出来たという。母親はそうした息子の好みを知っていて、大学に入学できたら自動車を買ってやると約束していた。
もう一つの楽しみは、携帯サイトの掲示板に書き込みをすることだった。智大は仕事の時間以外の余暇をほとんど掲示板への書き込みに当てるようになった。そして、この二つの楽しみが徐々に彼を破滅に追い込んで行くのである。
智大がはじめて購入したクルマは、スバル・インプレサーの中古車で30万円だった。智大は、このクルマに金をかけ始め、タイヤやマフラーを取り替え、各種のパーツも購入した。燃費も悪かったため、ガソリン代も高くついた。加藤は次第に消費者金融に手を出すようになった。そして、借金の返済が苦しくなると、昼食を抜くようになり、見かねた上司に「これで飯を食って来い」と千円札を渡されるまでになった。
彼は、埼玉県上尾市に移ってから、新しい自動車を購入している。マフラーを改造したマツダRX−7で、価格は70万円だった。智大は分不相応なこのクルマを手に入れるために、ローンを組んだ。このローンが、彼の生活を更に追いつめるようになる。
以前に借りた消費者金融への返済が続いているところへ、毎月のローン返済が加わったのだから、動きがとれなくなったのだ。彼は本業以外にも、日曜日にアルバイトをしなければならなくなり、苛立った彼は職場に対して不満を抱くようになった。そのため、智大は比較的条件のよかった上尾市での職場を無断で辞めてしまうのである。
上尾の職場を無断退職をした頃、携帯サイトの掲示板でも彼は苦境に立っていた。
智大が掲示板の仲間に対して、「本音で厳しいことを書いた」ために彼が所属していた掲示板から人がいなくなってしまったのだ。消費者金融やローンの返済に追われることも苦痛だったが、彼にとっては携帯サイトの掲示板を失ったことの方がもっと大きな打撃だった。
彼には、中学時代からの親しい友人がいて、メールで互いに消息を知らせあっていた。智大は人員整理で仕事を失ったときなどには、これらの仲間の下宿先やアパートに転がり込んで、そこを足場にして新しい職場を探すのを習慣にしていた。だから、昔の仲間は、親兄弟よりも頼りになる存在だったのである。そんな気心を知り尽くした親しい仲間がいるのに、どうして彼は見も知らぬ掲示板の仲間の反応をあれほど気にし続けたのだろうか。
智大は、中学時代からの古なじみには知られたくない「本音」を内面に隠し持つようになっていたのである。昔の仲間に会えば、愉快に談笑する。だが、それは互いに昔のイメージを介しての談笑だった。一別以後に形成されたもう一つの自己、もう一つの本音を語ろうとしても、昔のイメージが邪魔して、素直にそれらを出せないのである。
としたら、いっそのこと、相互に白紙の状態にある掲示板に本音を書き込めばいい。そこで彼は、「彼女が欲しい。が、悲しいかな、自分のような不細工な顔をした男には、女性が寄ってこない」というような自虐メッセージをせっせと書き込みはじめた。はじめは面白がってコメントをつけてくれた掲示板上の仲間も、だんだん智大のワンパターンの書き込みに反応しなくなって来た。それで、掲示板上の仲間に、厳しいことを書いたら、掲示板からひとがいなくなってしまったのだ。
智大は、次第に自殺を考えるようになった。
彼は、好きな自動車に乗って死ぬことを考えた。すると、いい場所が浮かんだ。青森県内のバイパスだった。彼はこのバイパスで、対向車線を走るトラックに正面衝突しょうと考えたのだ。法廷で、「なぜ青森を選んだのか」と聞かれたとき、彼は、「地元の友人たちに自殺したことが伝わるようにしたかった」と答えている。
智大は、再び職場を無断で放棄し、車で青森を目指した。弘前に到着すると、市内のコンビニエンスストアでカクテル酒を1、2本購入し、飲み干した。彼は、その状態でバイパスに向かった。そして途中で、青森の友人たちに宛てて「これからトラックにクルマで突っ込んで自殺する」という内容のメールを一斉送信した。
彼はメールを一斉送信した理由について、「交通事故ではなく、自殺ということをはっきりさせるため、あえてメールを送った」と言っている。さらに、彼は母に電話をかけた。彼は唐突に「これから自殺する」と告げ、母親が何か言ったが、智大は一方的に電話を切ってしまった。そして、携帯電話からすべての連絡先と「お気に入り」を消した。
これ以後彼はどうなったか、中島岳志の「秋葉原事件」から、原文のまま引用してみる。
<一方、加藤は目的地のバイパスに到着した。
そのとき、彼の携帯が鳴った。青森の友人からのメールだった。加藤は、内容が気になった。いよいよ自殺というときだったが、メールを見たいと思った。彼は車を停めるために、Uターンしようとした。
しかし、彼は酔っていたせいか、車を縁石にぶつけてしまった。あわててハンドルを切り、アクセルを踏んだが、車は動かなかった。降りて見てみると、部品が壊れていた。
加藤は、自殺をあきらめたくなかった。そのため、彼はとりあえず車の応急処置をして、一時的に走れるようにしようと考えた。彼はレッカー車を呼び、ディーラーに応急処置を頼んだが、すぐの修理は断られた。
このプロセスの中で、加藤の自殺への思いはトーンダウンした。彼は何度もかかってくる電話を無視していたが、このとき岡本からの電話に出た。心配する岡本に対して、加藤は「自殺に失敗した」と告げた。岡本は、とりあえず安心して電話を切り、仲間に「電話が繋がった、生きている」という内容のメールを送った。ほどなくして加藤本人から谷村にメールが届いた。そこには「死に損ないました、すみません」という内容が善かれていたという。
谷村は午後3時の休憩のときに、この知らせを受け取った。全身から力が抜けるような安堵の感情に包まれた>
(つづく)