死ぬ前にしたいこと(2)
「死を覚悟する」といっても、人によってその内容には大きな違いがある。自己抹殺を目指すものとしての死の覚悟を意味することもあれば、死を平静に受容する心境として死の覚悟を語る場合もある。
前者の事例として、このホームページでは、三島由紀夫のケースを取り上げている(https://amidado.jpn.org/kaze/home/misima.html)。三島や芥川竜之介のように、若くして名声を得た作家は中年になって自己に対する世間の評価が落ちてきたと感じると、往年の名声を取り戻そうと焦って野心的な作品を書き上げる。だが、それが期待したほどの評価を得られないと、それまで創作活動に向けていた「攻撃的エネルギー」を、わが身に振り向けて自殺するのである。
しかし自己抹殺を覚悟したとしても、人間には自己保存欲求があるから、実際に自殺するまでには時間がかかる。そこで、三島由紀夫は自分を死に向かって追いつめて行くために、作品や対談のなかで、くどいくらいに自死を予告し、挙げ句の果てに、自作映画で自分が切腹する場面を撮影させている。
自殺を実行する前の三島や芥川の行動は、明らかにおかしかった。
三島は、天皇(昭和天皇)を現人神だと信じるといいながら、天皇が生物学などにうつつを抜かしていることを責め、皇太子(現天皇)には期待が持てないなどと放言している。彼は、また「葉隠」のなかの武士を絶賛しておきながら、外人記者たちに、「今なお、サムライの魂を持っている日本人は、ヤクザだけだ」といって一同を唖然とさせる始末だった。
「攻撃的エネルギー」は、事業を成功させ、優れた学問や芸術作品を完成させる反面、他者を傷つけたり、愚行を演じたり、自己抹殺に向かったりする。だから、「自然」は、そうした「攻撃的エネルギー」の暴走を制御するブレーキとして自己保存本能を人に与えている。
自己保存本能には、確かに利己的な面がある。飢えているときに、目の前に食べ物があれば、まず、自分がそれを抱え込んで他人に渡さない。だが、ルソーは言うのである、自分の飢えを充たしてしまえば、人はそれを他者に分かつことにやぶさかでないから、社会の成員がこういう「自然法」に従って生きるようになれば、理想的な社会が成立する、と。
老子が言っているのも、同じことなのである。人は欲望のままに振る舞えば、結局は自滅する。だが、われわれが「攻撃的エネルギー」を制御して、質実な暮らしを続けていたら、自ずと余裕が生まれる。それを他と分かち合う「慈」を忘れなければ、平和な社会が出現し、人は自分の住む場所にすっかり満足して、犬や鶏の鳴き声が聞こえてくるほど近くにある隣村にも出かける気がしなくなる、と。
自己保存本能は、「その居に安んじ、その俗を楽しむ」ものだから、身に降りかかる吉凶禍福のすべてを自然現象のように受け入れ、戦って生き残るのではなく、すべてを受容することによって生き残る。だから、死についても、来るべきものが来たという平静な気持ちで受け入れることができるのである。
死を平静に受け入れる人間は、死を覚悟しつつ日常を生きる人間である。空海は、その漢詩のなかで、「終リヲ待ツ」という言い方で、自らの死の覚悟を語っている。
昨日の信濃毎日新聞を読んでいたら、詩人の山尾三省に関する記事があった。
山尾三省は、2000年の晩秋に胃癌が末期になっているという宣告を受けた。彼は若い頃、死の恐怖にとらわれ、それを克服してきた積もりだったが、現実に死期が近いことを告げられると、心穏やかではいられなくなった。 三省の心に、おのずと江戸時代の禅僧・正受老人の法話が浮かんできた。
「一日一日の勤めを励みなさい。翌日のことをあれこれ考えて、今日を疎かにするな。どんなに苦しくてもー日と思えば耐えられる。楽しみも一日と思えば、それにふけることはない。一生と思うから大変なのだ。一大事は、今日、ただ今の心である」
三省は、「一日暮らし」の法話を思い出しながら、次のような詩を作っている。
これから死ぬまでの 限られた日々を
今日が最後 今日が最後と
一日一日と暮らしていこうと考えたのです
(詩集「祈り」所収の「善光寺様の紀」より)
三省は、入院はせずに屋久島の自宅で療養し、翌年8月に亡くなった。亡くなるまで、「一日暮らし」は三省の闘病生活をささえる支柱になった。激しい痛みに耐えながら、彼が残された日々をいとおしむように過ごした様子は、最晩年のいくつかのエッセーからうかがい知ることができる。
(つづく)