母と娘の葛藤
インターネットなどで、一つのテーマに多くの書き込みが殺到することを「炎上」と呼ぶらしい。私が購読している「信濃毎日新聞」の投書欄にもそれに似た現象が起きたようで、新聞社ではその問題を中心に二日続きの特集を組んでいる。
発端になったのは、「実母の言動に苦しむ」と題する40代の女性の投稿だった。編集者は、問題の投稿を要約して紙上に再録しいるので、まず、それを紹介することから始める。
<「モラルハラスメント」という言葉を知っていますか。
言葉や態度で相手を傷つける行為、嫌がらせのことです。私は夫や子どもたちと一緒に数年前、ひとり暮らしをしていた母と空家で同居を始めました。直後から母の言動に悩み、救いの手を求めてインターネットで調べました。この言葉を知って、小さいころからの母の仕打ちに「どうしてそこまでするの?」「母親としての愛情はないの?」という疑問を抱いていたのが、一挙に消えた思いがしました。
何かあるたびに嫌がらせをしてきます。気の休まる暇がありません。子どもの通学を考えて引っ越したのに、まったく子どものためになっていないことが切ないです。
実の母を悪く言うのはつらいし、話しても信じてもらえそうにありません。友達にも言えないのが苦しい。どなたか教えてください。私はどうしたらいいのか…。
(匿名希望・40代・中信地方)>
この投稿に関連した投書がたくさ編集局に寄せられたので、新聞社は第一日目にはこれら読者の投書から5編を掲載し、その翌日には4編の投書を追加して、二日続きの特集記事にしたのだった。それらの投稿はいづれも興味があったものの、これをらを読んだ読者にとって隔靴掻痒の感があるのもまた否めなかった。投稿者を苦しめた「実母の言動」が具体的に語られていないからだった。
実母の行動が具体的に語られていない理由は、明らかであった。最初の投稿者が打ち明けているように、「実の母を悪く言うのはつらいし、話しても信じてもらえそうもない」からなのだ。それでも、「私だけじゃないんだ」と題する投稿には、「実母の言動」がかなり細かに書いてあったから、それをここに紹介させてもらうことにする。
<娘と実母の関係の難しさ。私もずいぶんと葛藤してきました。
母は中学卒業と同時に田舎から集団就職で上京し、若くして結婚、私を出産。私が小さなころから、「あんたが生まれたから…」とよく愚痴を聞かされました。だんだん私は生まれてこなければよかったと思うようになり、何度死のうと思ったことでしょう。
「体形が変」 「食べ方が馬みたい」などと言われ、今でも人前に出るのが怖いです。人と一緒に食事ができません。そんな母でも、私はよく見られたいと必死になり、良い子でいました。
大人になり結婚して、遠く離れた地で暮らすようになりました。それからも母は私の主人の悪口を言ったり、孫の顔を見せたいと実家にたまに帰っても、うるさい、汚れる、もう帰ってくれる?などと言います。「うちをホテル代わりに使ってるんじゃないの」と言われた時は本当に悲しかった。
こんなことを言われるのになぜ実家に行くのか、私自身も分かりません。でも何年かに一度は帰りたくなるのです。まだ心の奥底で、母に気に入られたいと思ってるのかもしれ
ません。
マスコミにこうした問題が取り上げられると、私だけじゃないんだと救われる気がします。匿名希望さん、投書してくださってありがとうございました。(47歳・北安曇郡)>
これまで私は、母娘葛藤の背景を漠然とこんなふうに考えていた。
男親は、子供がまだ小さいうちは男の子に対しても女の子に対しても、平等な態度で接している。ところが、女の子が成長して「娘」と呼ばれるようになると、距離を置いて接触するようになり、直接、娘と立ち入った話をすることを避けはじめる。私が知っている男親は、たいてい娘に言いたいことがあっても、母親を通して伝えるようにしている。
これとは反対に年頃の娘と母親との関係は、希薄になった父娘関係をカバーするかのように、濃密になって行く。母と娘は、男には到底理解し難い「女世界」に帰属し、男とは異なる生理を持って生きているために、自然に男親を排除した同盟を形成することになるのだ。娘は適齢期に入ると、同盟する同性の友人を求める。だが、家庭内で母親と同盟関係を結ぶことが出来れば、外に「親友」や味方を作る必要はなくなるのである。
今日の新聞を読んでいたら、「婦人公論」の広告が載っていた。同誌には、『娘・西川史子に教えた「人生は金とコネ」』という西川史子の母親の手記が掲載されているようで、この母親は、娘に「悪口は家で、外では社交辞令を」とも教えているという。母娘の同盟は、こうした世渡りのための知恵の授受や、よい結婚をするための作戦会議の場としても利用されているらしいのだ。
母娘同盟が、母親リードの形で結ばれると、娘は母親の夢を実現するロボットにさせられたりする。娘は母親の欲望の代行者になるのである。だが、母娘同盟は崩れやすく、年頃になった娘が恋人に愛情を移せば、独占欲の強い母親は娘に対して、「可愛さ余って、憎さ百倍」という感情を持つことにもなる。
娘に対して支配的な母親が、内心に自己嫌悪を隠している場合はどうだろうか。娘を「悪しき自分」として憎むようになる可能性がある。娘が母親の愛を求めて近づいてくればくるほど、突き放したくなるかも知れない。実家を訪ねてくる娘に、「うちをホテル代わりに使うつもりか」と言い放った母親にとっては、娘は嫌悪すべき自己の複製に見えたかも知れない。
娘が母親を嫌ったり憎んだりするケースも、少なくない。その事例として、佐野洋子の場合をブログで取り上げたことがある。
佐野の友人のなかには、自らの母を憎んでいて、 顔を見ると「首をしめたくなる」というものもいたけれども、佐野はその友人の方が自分より増しだと思っていた。なぜなら、友人は素手で首をしめることができるからだ。だが、佐野は素手で母にさわるのは嫌だった。彼女は母の匂いも嫌いだったから、洗濯機を使うことなしには母の下着を洗えなかったのである。
そういう佐野も最後には、母親と和解し同じベットで抱き合って寝るようになる。母と娘は、いくら憎みあっていても、どこかで──男の分からないところで繋がっているらしいのだ。だからこそ、「私だけじゃないんだ」の投稿者も、あれほど母に邪険に扱われながら、母のもとを訪ねることをやめないのである。