甘口辛口

「ビッグダディの流儀」を読む(2)

2013/5/19(日) 午後 2:54
「ビッグダディの流儀」(2)

ビッグダディ・シリーズをテレビで見ていて感心するのは、林下清志が8人の自分の子供は無論のこと、同居している連れ子たちも巻き込んで、林下家を一糸乱れぬ状態で統率して来たことなのだ。これが、いかに困難なことであるか、同種の多子家族番組と比較すればすぐに判明する。

他の番組に登場する多子家族では、子供たちがまだ小さいうちは、必ずと言っていいほど兄弟喧嘩の場面が出てくる。それも、取っ組み合いの喧嘩をする場面ばかりなのだ。連れ子を抱え込んだ大家族では、義理の親子関係が不穏になって、ふて腐れた年頃の娘と義理の父親が掴みあいの乱闘を演じるケースなどもある。

テレビの視聴者は、軽い気持ちでビッグダディ・シリーズを見ているけれども、内部対立をうちに含みながら、あれだけの大家族が、仲良く暮らしているということは、実は、大変なことなのだ。

特に注目すべきは、最初の妻・佳美が林下と離婚してからも、復縁を求めて彼の行く先々を追いかけていることであり、二番目の妻の美奈子も離婚後林下との復縁を求めていることだ。美奈子の告白本「ハダカの美奈子」は、林下へのラブコールのための本と言ってもいいほどである。二人の妻の子供たちも同様で、彼らは皆義理の父親である林下を好いており、出来ることなら、再び彼と同居することを望んでいるように見える。

林下のこの不思議な「人徳」は、どこから来ているのだろうか。

現代人なら、これを家族一人一人に対する林下の公明正大な態度から来ているとか、あるいは、彼の優しさにあるとか考えるだろう。それも確かにあるに違いないが、どうも事実はわれわれの想像が及ばないところにあるらしいのである。

林下によると、林下家の家事を担当しているのは小学生たちであり、そのリーダーになっているのも小学校高学年組だという。中学生になると、家事労働から解放されて「顧問」に昇格し、顧問会議で家の諸問題を検討したり小学生グループの監督をしたりすることになるらしい。世間がよしとする家庭はこの反対で、年長者が先頭に立って働き、幼いものたちを率先垂範でリードするという一家ではあるまいか。が、林下家では、幼いものたちが働き、年長者はそれを管理する立場に回っている。そして、その年長組を力で押さえつけているのが、林下清志なのだ。

林下は、子供たちが悪さをすると鼻血が出るほど殴りつけてきたと公言している。子供たちに言わせると、彼は今でも子供をひっぱたいているという。彼は、自分が力をバックにして家族を統率していることを自覚しているので、事あるごとに子供らに腕相撲を挑み、父親の腕力を見せつけている。やがて、力では大人になった子供らに及ばない日が来る。そしたら、彼は甘んじてその軍門に下り、支配権を相手に譲るまでだと覚悟しているのである。

この家族構造は大相撲傘下の相撲部屋に似ているし、もっとハッキリいえば旧日本国軍隊またはヤクザの組織構造に似ている。新入りの下っ端は、古参者によって奴隷のようにこき使われる、その立場から抜け出すには、年季を積んで自分が古参者になるのを待つしかない、これが旧日本における集団統制の基本原理になっていたのである。

では、軍隊体験にもヤクザ組織にも縁のなかった林下が、どうして前近代的組織である軍隊などを模した家族関係を構築したのだろうか。

この点を、理解するためには、彼が中学校時代に生徒会長になり、高校に入学後は柔道部に所属していたことを思い出す必要がある。林下は生徒会長の頃は、三年生の権威を高めることで下級生を統制していたし、柔道部に入ってからは新入生が上級生に絶対服従するという生活を体験してきたのであった。

「ビッグダディの流儀」には、いささか奇妙な暴力理論が載っているので、以下に引用する。

<男の子に関しては、男同士ですからどこまでも力関係なんです。
女の子は、長女・愛美は小学校までひっぱたいたけど、中学からは一切手をあ
げていません。そうすると安心してか、今度は娘が調子にのって、だんだん
態度が悪い場面が増えてくるんです。
 そこである日、俺は娘に言いました。
「俺がなんでおまえをたたかないか知っているか? おまえは俺が70歳の爺さ
んになろうが、俺に勝てることはないからだよ。俺が70歳になったって、おま
えの両手に棒を持たせても、絶対に俺のほうが強い。おまえは一生俺に勝つこ
とがないから、おまえをたたかないの」
            
 だけど息子だったら、いつか俺を追い越す日が来る。俺より体力がついて、
コノヤローつて取っ組み合ったら、俺に勝てる日が確実に来る。だから今、俺
は遠慮なく息子たちをひっぱたいています。・・・・ それが気に食わなかった
ら、いつでも向かってくればいい。
 でも、娘は違う。
「おまえには一生反撃のチャンスがないから、ひっぱたかないんだ。そんなこ
ともわからないで、俺に偉そうな態度をとっていると、俺の信用をなくすぞ」
 と、彼女には言いました>

この暴力理論が生まれた背景を更に探っていくと、彼の幼年期の体験が浮かんでくる。彼は11人兄弟の10番目の子供として生まれ、二部屋しかない小さな家に住んでいた。無口な父に比べて長男は豪放磊落を売りにしている手荒な男で、林下は父親よりこの方が恐ろしかった。何しろ年齢が20歳も違うのである。この兄が、まだ5歳の林下を壁まで吹っ飛ぶほど殴るのだ。

大人になってから彼は、姉と電話で話していて、こんな話を聞かされた。

「長男に歯向かえたのは、きょうだいのなかじゃ、お前一人だったよ。お前が五歳ぐらいの時だったよ、殴られて鼻血を出したんだけど、すぐ起き上がって『こんなん、痛くねえや』といったんだよ」

怒っていた長男は、殴るのを止めて「こいつは将来ものになる」といったという。

つまり、この体験から導き出される結論は、こういうことなのだ。反発するだけの力を持っている相手を殴るのは構わない、眠っている潜在能力を目覚めさせるきっかけになるから。
(つづく)