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「縁なき衆生」

2013/10/21(月) 午後 0:01
「縁なき衆生」

NHKの「日曜美術館」で、浜田知明の作品を見ているうちに、初年兵時代のことを思い出した。浜田知明は、兵卒として体験した悲惨な光景を「初年兵哀歌」などの作品にした彫刻家兼版画家である。

彼の版画作品には、中国大陸で日本兵が行った暴行を素材にしたものがあり、例えば、性器に棒を突っ込まれて倒れている女の裸婦像があったりする。その女は妊婦と見え、大きなお腹をしており、浜田は無惨な殺され方をしていたこの女性を、戦地で実際に見ているそうである。

それらの作品を見ているうちに、私は軍隊で同じ分隊に所属していた古兵の顔をいくつか思い出した。あの兵隊たちが戦場に行ったら、妊婦を強姦し、その後で、あの位のことを平気でするだろうなと思った。

日本の軍隊は地獄のようなところだったけれども、すべての古兵が劣悪だったのではない。分隊員十数名のうち本当に悪質だったのは、30才を過ぎた3〜4人の兵隊だった。彼らはねちねちと底意地が悪く、自分よりも弱い立場にあるものをいじめては嗜虐的な快感を得ていた。

彼らを見ていると、誰がどんなに説いて聞かせても、そのねじ曲がった根性が改まるとは思えなかった。日本の軍隊の悪いところは、こうした古兵らを部下にしている下士官が、彼らの非行を見て見ぬふりをしていることだった。分隊長として兵隊を預かっている以上は、たとえ効果がなくても一言注意をしておくべきではなかろうか。分隊の他の古兵たちも、札付きの仲間が新兵いじめを始めたり、よその分隊から物品や食料をちょろまかして来ても、(また、はじまったな)と眉をひそめているだけだった。

日本の軍隊が道徳的に自壊していったのは、兵隊たちが小さな悪を黙認し、権力に対して抵抗の姿勢を示さなかったからだ。一般の兵隊が身の安全ばかりを考え、軍隊内部のすべての悪習を傍観していたから、軍上層部は特攻隊という悪魔的な戦術を考案し、前途有為な若者たちを死に追いやって平然としていたのである。

──王宮を捨てて修行を積んだ釈迦は、民衆を救うために伝道の生活を開始した。当初、彼は人生の真実を語って静かに教えさとしてやれば、すべての人間は救われると信じていた。だが、やがてこの世には「縁なき衆生」もまた存在することを知るようになった。釈迦がいくら懇切に説いても、効果のない人間が一定数はいるのである。

この釈迦と比べるのは烏滸がましいけれども、私も同じだった。世間知らずの私は軍隊生活を体験するまでは、人間性を信頼している楽天家だった。だが、敗戦によって解放され兵営の門を出るときには、楽天主義は跡形もなく消え去り、この世には救いがたい人間がおり、自分自身もその一人であることを身にしみて感じる悲観論者になっていたのだった。

以来、私は悲観論者として生きてきて、年老いた今は典型的な「意地悪じいさん」になり、至る所に「縁なき衆生」を見るようになっている。例えば、靖国神社を参拝する閣僚や国会議員たちである。

彼らは、一国を代表する自分たちが靖国神社参拝に出かければ、中国や韓国を激怒させることを知っている。それだけではない。世界各国の有識者から顰蹙を買うことも十分に承知している。アメリカの大統領が来日したとき、靖国神社ではなく、千鳥ケ淵戦没者墓苑に赴いて弔花を捧げていることだって知っている。

彼らは、自分たちの行動が日本への国際的評価を低落させ、近隣諸国の敵意を煽り立てていることを百も承知で、選挙民の遅れた層に媚びを売るために靖国参拝を繰り返えしている。それは、闘牛士が牛の前で赤い布を振って見せるような行為なのだ。そして、記者たちが、「外交問題になるのではないか」と質問すると、「そうは思わない」と答える。その厚顔ぶりは、まさに「縁なき衆生」そのものなのだ。

靖国神社が、なぜ世界各国から白眼視され、敬遠されるのだろうか。

Α級戦犯が合祀されているという問題も含めて、靖国神社が狭い国家主義の観点から作られ、運営されているからだ。何処の国にも自国のために死んだ兵士を悼む墓所がある。だが、そこにはナショナリズムの他にヒューマニズムの精神も息づいていて、戦場で倒れた兵士たちを広く人間としての立場から悼む気持ちが濃く打ち出されている。

だが、靖国神社には「日本のために戦って死んだ」から、そして「今日の日本の繁栄をもたらしてくれた」からという理由で、特定の霊が祀られる。どこまで行っても「日本のため」という民族的エゴイズムから離れることがないのである。外国人が靖国神社を敬遠するのは、それが日本人による日本人のための神社であって、人類に広く門を開いていないからなのだ。