子供返りする老人(2)
注文しておいた「直木三十五全集」が到着した。全部で二十二冊、それに付録の分冊も付いているからかなり重く、同居している息子が本の入っている段ボール箱を二階の自室まで担ぎ上げてくれた。
注文した本が届くと、先ず確かめるのは、それらの本が老眼鏡で読めるかということなのだ。老眼鏡では読めないということになれば、これらを電子書籍化しなければならない。体験者にはお分かりと思うけれども、二十二冊を全部電子書籍化するのは、相当に骨の折れる作業なのである。
だが、心配は無用だった。電子書籍化しなくても、全部、老眼鏡で読むことが出来たのだ。そこで手始めに短篇小説を集めた巻を取り上げ、「宮本武蔵」という短篇を読んでみる。面白かった。吉川英治が描いたストイックで求道的な宮本武蔵と違って、そこに描かれていたのは、こすっからい情報戦略家としての武蔵なのであった。
宮本武蔵は、生涯に著名な剣客数十人と戦ったが、一度も負けたことがないということをセールスポイントにしている。それは彼が試合をする前に、入念に対戦相手の特徴や実力を調べ上げ、相手が自分より強いらしいと分かると立ち会うことを避けて来たからだった。どうしても試合をしなければならないような場合には、卑劣な手を平気で使っている。相手が一撃で敵の左肩を打ち砕くことを得意にしていることを知ったりすると、武蔵は相手の耳に入るようにデマを流すのだ、「武蔵は問題の一撃を避ける対策を求めて苦心惨憺しているけれども、それが掴めないでイライラしている」というようなデマである。そして当日になると、デマに誑かされた単純な相手は先ず気負い込んでこちらの左肩に打ち込んでくる──武蔵はそのことをあらかじめ織り込んだ作戦を用意して試合に臨み、相手を打ち負かすのである。
彼はその後、名声を求めて吉岡一門と戦って勝利し、その評判が過去のものになって自分の名前が忘れかけ始めると、佐々木小次郎に試合を挑んで勝利している。佐々木と試合する場合にも、彼は相手に関する情報を徹底的に調べ上げて、入念な作戦を立てている。
こうした説話を裏返した実録ものの作品はどれも面白かったが、「由比根元大殺記」とか、「軽輩血笑記」というような、おどろおどろした題名をつけた時代小説の中には、箸にも棒にもかからぬ悪作や愚作が混じっていた。その点は、坂口安吾と実によく似ているのである。
愚老は東京の私立校で教員をしていた頃、坂口安吾に惹かれて何冊もの安吾作品を読んでいる。すると、「青鬼の褌を洗う女」とか「淫者山へ乗りこむ」とか、鬼面人を驚かす題名を掲げた作品があって、それらは大抵読むに耐えない悪作であることが多かった。それで愚老は全集を購入する余裕が出来てからも、長い間、安吾全集を買うことなしに過ごして来たのだった。
考えてみると、愚老が直木三十五の全集を今日まで買わないで来た理由も、安吾の場合と同じだったのである。東京で教員をしていた頃、古本屋で買った直木の本の中に悪作が混じっていたのである。
だが、直木にとっては、それもやむを得ないことだった。彼には莫大な借金があり、そのために彼は作品の依頼があればすべて引き受け、原稿を一瀉千里の勢いで書きとばし続けていたのだ。安吾は安吾で、夜に眠れなければ睡眠薬を飲み、昼間目覚めて頭がぼんやりしていたら、今度は覚醒剤を飲んで眠気を振り払うという滅茶苦茶な生活を続けていた。彼らの作品は、そういう倒錯した日常の産物だった。それで、彼ら自身、作品が空疎なものであることを自覚していたから、それをごまかすために奇態な題名をつけていたのである。
この二人は、日本的なニヒリストだった。彼らは時流に乗って世俗の評判を得ている人気者を嫌悪していた。彼ら人気者の頭にあるのは保身だけだった。だから、直木と安吾は彼らに当てつけるように破滅的な生き方をして見せたのだ。直木には、こんな話がある。
ある日、挿絵画家岩田専太郎が会社に残って仕事をしていると、直木が無言で部屋に入ってきて問いかけた。
「五銭あるか」
岩田が何に使うのかと尋ねたところ、風呂賃だという。数日後、直木は岩田をハイヤーに乗せて一流料亭に連れて行って豪華な食事をプレゼントしてくれた。それが五銭の借金に対する彼のお返しだった。こんな調子だから、彼が金に困るのは当然だったし、彼が多くの知友に愛されたのも又自然だった。
戦前に直木は、陸軍の青年将校らと親しくなって、雑誌社の座談会で彼らと来るべき戦争について語り合っている。また、彼は日本が米国と戦火を交える未来小説なども書いて、左派の陣営や自由主義者らからファッショと呼ばれて憎まれていた。だが、これも反軍部の旗のもとに結集する作家や評論家が「社会の良心」を気取ってマスコミの人気を得ていることに対する彼なりの反発からだった。彼は少しでも偽善の臭いをかぎつけると、相手に噛みつかないではいられなかったのである。
しかし、読んでいて、いくら痛快で面白かったとしても、直木三十五作品はすべてゲテモノだった。それで、同じ頃に届いた川崎長太郎の「老残 死に近く」を直木作品と並行して読むことにした。愚老は50代の頃、川崎長太郎の「抹香町もの」を興味津々読んでいたことがあり、その後の川崎がどんな生活をしているか知りたかったのである。
「抹香町もの」を読んだ愚老の分類に寄れば、川崎長太郎も直木三十五や坂口安吾と同じ日本型ニヒリストだった。日本型ニヒリストには、反骨型のほかに乞食型というタイプがあり、川崎は乞食型ニヒリストに組み入れられる作家だったのだ。
「老残 死に近く」は文庫本だから、直ぐに読了できた。
読み終わって知ったことは、著者川崎がとっくの昔に、ほぼ30年前に亡くなっていることだった。彼は1985年(昭和60年)に肺炎のため83才で逝去している。愚老も、実は、反骨型と乞食型の間を行き来している日本型ニヒリストの一人だから、川崎長太郎の死に対しては弔意を表さずにはいられないのである。
米寿を過ぎて子供返りした愚老の前に浮かび上がったのは、思いも寄らない欲求だった。乞食型ニヒリストの本質と生態を明らかにしたいと思うようになったのだ。これが子供返りした自分に突きつけられた課題だったとは・・・・・