米食民族の人生行路2
過密社会に生きる人間は、集団を平穏に保つために様々な「約束ごと」を作る。その「約束ごと」の過半は滑稽で不合理なものだが、人々はそのことを半ば感じながらも「約束ごと」を忠実に守り続ける。だから、知人が死ねば、まず、香典帳を開いて相手側からもらった香典の金額を調べ、、それと同額の金を包んで葬式に出かけるのだ。
日本人は社会の隅々まで行き渡っている「約束ごと」や「しきたり」を堅く守りながら、平穏無事に生きている。出処進退を慣習に従って決定するだけでなく、自分の進路、自分の将来まで世間がよしとするものを選ぶ。こういう社会に生まれた人間は、成長するにつれて、およそ二つのタイプに分かれる。
その第一は、「約束ごと」と「しきたり」が支配する世俗社会に適応して、世間がよしとして賞賛する成功者をめざして頑張るタイプであり、第二は表面では社会的慣習に従っているように見せかけながら、内面では世俗を冷笑しているタイプ、すなわちニヒリスト、あるいは二重人格者などのグループなのだ。そして、この第二グループが、慣習に盲従する凡愚人の群れから抜け出して「脱凡愚人」をめざしながら、やがて凡愚人に還帰する「還凡愚人」になるのである。
その昔、第二グループの男たちは、「出家遁世の志」を抱いて若くして仏門に入っている。方丈記の作者も、良寛もそうした人間だった。現代の第二グループのうち、才能に恵まれたメンバーは、文筆家や音楽家などになって、世俗の埒外に出て自分たちだけの世界で暮らしている。
才能にも運にも恵まれなかった現代の第二グループメンバーは、自己教育と自己革命によって、水の中にいても濡れない生活法を案出しなければならない。その方法には、どんなものがあるかといえば、
在家仏教
無教会派キリスト教
ヨガ
というような宗教性の強いものから、心身強化のための療法がある。
太極拳
岡田式健康法
森田療法
愚老は在家仏教や老子を学んだことで、幾分、水の中にあっても濡れない法を会得したように思っていたが、十分ではなかった。本当にそれに近い心境になったのは60歳を過ぎてからだった。人が成長するには、年齢というものが必要なのであった。
・・・・・退職してから、妻子を旧宅に残し、単身で畑の中の家に移ったのは、最低生活を実践するためだった。そこで一人だけになって百姓仕事をしたり、本を読んだりしていたら、ふと、自分の生涯を振り返ってみる瞬間があった。過去を顧みることはこれまで何度もあったが、あんな具合に、変にしーんとした気持ちで、自分の過去を眺めたのは初めてだった。
<生きるというのは、これだけのことだったのか>とその時に直感した。
この直感が、新しい視野を切り開いてくれたのである。
人間の一生は、父祖から受け継いだ生命を、次の世代に渡すまでの「繋ぎ」に過ぎなかった。自分は、人類という種を絶やさないためにこの世に出現したのだ。人間には個体保存本能以外に種族保存本能があると聞かされてきたのは間違いだった。人の中枢にあるのは種族保存本能であり、個体保存本能はこの本能を支えるための補助手段に他ならなかった。
すべての人間は、死を間近に感じるようになって、初めて、生きることに目的があるとしたら、それは種族を残すためであり、それ以外に何の目的もなかったことに気づく。豊臣秀吉にしろ、ナポレオンにしろ、個人として失意の念を抱いて死んでいくのは、他の人間と変わりはない。すべての人間は、種族の生命を次の世代に繋ぐためにのみ生きている。その意味では、どんな人間も兄弟姉妹であり、自己の同胞であって、揃って哀れないきものである点に変わりない。
「慈眼」は、自分を含む人類全体、いや、生物世界の総体を憐れみの目で眺める。哀れな人間も、この眼を持つことによって救われ、祝福されるのである。凡愚人であるわれわれが、この「慈」の世界にたどり着くのに年齢を必要とする事実のなかに見えざるものの配慮と慈悲を感じるのである。