アタラクシアへの道(2)
トルストイの作品のうち、「復活」だけは半分ほど読んだだけで、最後まで読み通すことが出来ないでいた。「復活」といえば、「カチューシャ可愛いや、別れのつらさ」という歌が流行歌になったほど有名になっていたし、そのストーリーはいろいろなルートを経て耳に入っていたから、改めて読むまでもないという気がしていたのだ。
それでも、旧制中学校時代に翻訳本で原作を読んでいって、裁判所でカチューシャに再会したネフリュードフが、カチューシャの後を追って自分もシベリアに旅立とうとするところまで来た。これからストーリーは山場にさしかかるのだ。ところが、肝心の部分までくると、話が妙な迂路に入り込んでしまって、一向に物語が進展しなくなるのである。
ネフリュードフは、カチューシャと結婚して彼女の刑期が終わるまでシベリアで暮らす決意を固めていた。そうなれば、自分が各地に所有している農地を管理できなくなる。それで彼は、小作人たちに農地を開放して身軽になろうと考え各地に出向くのだが、彼のプランは思うように進展しない。農地の管理人を通して小作人たちを集め、彼らが大喜びをするはずの改革案を発表すると、小作人たちはそれを地主側からの新たな策謀ではないかと疑って、直ぐには賛成してくれない。管理人は、もちろん反対する。
こうしたゴタゴタが続くのと並行して、姉夫婦とも相続問題に絡んで衝突がある。トルストイはこの件についても多くのページを割いて縷々描写を重ねる。だから、まだ中学生だった愚老はうんざりして、「復活」を読むのをこのあたりでやめてしまったのである。
それから何年かして、東京で学生時代を送るようになってから、クラスの全員が集まって討論する機会があった。その席上で、一人の学生が立ち上がって、愚老に対する個人攻撃を始めたのだ。
「トルストイの<復活>を読んでいたら、おのれの知識を頼みにして周囲を支配しようとする傲慢な青年が出てきたんだ。シベリアに送られる国事犯のリーダーなんだがね」
といって、彼はその登場人物について説明した後で、こういったのである。
「この登場人物についてトルストイが書いている文章を読んでいるうちに、オレは**君のことを思い出したんだ」
この学生の言葉は、討論のテーマとは何の関係がなかったし、いかにも場違いな発言だった。それでも、**君とハッキリ名指され以上は、名指された愚老からも一言あってしかるべき状況になっていた。相手の学生にしても、当方からの反論を予期してこっちに顔を向けていたのである。だが、愚老はこのとき、無表情なまま、相手の挑発的な言葉を完全に黙殺したのだった。
その頃の愚老は、まわりの仲間たちより少しばかり多く本を読んでいたから、仲間たちの議論が変な方向に向かえば、その誤りをただしたし、議論の中に彼らにとって初めての概念や人物名が飛び出した時などには、それについての解説係を買って出たりしていた。それをこざかしいと見、傲慢と見たりする級友からは、しばしば手強い反発を受けていたから、改めて個人攻撃をされても平然としていることが出来たのであった。
それでも、相手がシベリアに流刑になった国事犯のリーダーを持ち出してこちらを攻撃しているからには、問題のリーダーが作品の中でどう書かれているのか確かめてみるのが一応の筋であり、一種の礼儀だった。しかし、当時そんな気持を全く持っていなかったところをみると、愚老は確かに「おのれの知識を頼みとしている傲慢な青年」だったのである。
それから又半世紀の余が過ぎて、愚老は二種類のトルストイ全集を購入することになった。そして、そのなかから一冊ずつ本をばらして電子書籍化したから、「復活」もTVディスプレイ上で読むことが可能になった。が、やはり「復活」を読む気にはならなかった。
そして、ようやく先日、「復活」を読了してみると、こちらがこの作品についてほとんど無知のままで過ぎていたことが明らかになった。第一に、ストーリーは当方が予想していたとは異なる形で終結していたのである。カチューシャはシベリアに送られる途中でシモンソンという国事犯の被告と親しくなり、彼からも求婚され、いわば三角関係の中心人物になっていたのだ。
ネフリュードフがカチューシャに会い、一対一で静かに二人の男のどちらを選ぶかと尋ねると、カチューシャはシモンソンを選ぶと答える。彼女は自分がネフリュードフの妻になって彼の未来を暗いものにすることを避けたかったかもしれなかった。だが、とにかくネフリュードフとカチューシャの間の深刻な関係は、カチューシャによるネフリュードフ拒否という事実をもって終わりを告げていたのである。
・・・・国事犯のリーダーについては、第三編の13章前後に書かれていた。トルストイが描いている彼の否定的な面を列挙すれば、こうなる。
<彼の雄弁は、ただ虚栄と人をしのごうとする欲望から出ている>
<彼はあまりにも自信が強すぎるため、人を押しのけるか屈服させるか、この二つのほかは出来なかった>
<同志は彼を尊敬していたが、愛していなかった。彼も又なんびとをも愛さず、すべての優れたひとにたいしては、常に競争的な態度を持し、ボス猿が子猿どもをあしらうように、あしらいたい様子であった>
<彼は主義としては婦人問題の味方だったが、内心ではすべての女を愚劣なとるに足らぬものと考えていた>
成る程、クラス会で愚老を糾弾した級友は、こちらの人間性をこういうものとして見ていたのであった。そう言われたら、当方としては、もはや返す言葉もなかった。そして、こういう我が身を念頭に置いたうえでネフリュードフの最後の言葉を読めば、ひとしお心にしみてくるものがあるのである。
カチュウシャとの結婚をあきらめたネフリュードフは、福音書の「嬰児のごとくあれ」という部分を読みながら、こう考えるのだ。
「自分が心の平和と生の喜びを経験したのは、みずからへりくだる気持になったときだけであったことを思い出した」
「人はすべて罪人なのだから、人を罰したり矯正したりできるものはいない。だから、常にすべての人を許す、幾度でもかぎりなく許すというこの一字の中にすべてがあるのだ」
・・・・・すべての他者を限りなく許すことによって、初めて人はこころの平安を得ることができる、というのがキリスト教徒のアタラクシアなのであった。