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幸福願望とトップ願望

2015/1/24(土) 午後 0:10
 幸福願望とトップ願望
一週間前、テレビで「サンデースクランブル」という番組を見ていたら、三船美佳とつまようじ19歳の二人を取り上げていた。愚老は、この両名が大げさな言葉を使って自画自賛していることに注意を惹かれた。
 三船美佳は、高橋ジョージと結婚した当時、自分がいかに幸福であるかを最大限の言葉でPRしていた。
 「私は、いま、世界一幸福です」
 「いえ、宇宙で一番幸福」そして、その高橋ジョージと別れたあとで、今度はこう語っていたのである。
 「今が本当に幸福よ」
 つまようじ19歳も自分を語るために、惜しげもなく最高の表現を使っている。ユーチューブでトップになったのを知って、「これはオレが日本一になった証拠だ」と自慢するかと思えば、<スーパーはオレの冷蔵庫>と言った後で、「名言だね」と自慢する。それから、こんな放言もする。
 
 「オレは万引きの王様だ」
 「オレ様は神様以上の存在だ」
 美辞麗句を連ねて自画自賛する人間に共通するのは、実は彼らが深刻な劣等感を抱えているという事実なのだ。その後の報道で明らかになったところを見ると、こうした発言をする以前の三船美佳は幸福ではなかったし、つまようじ19歳も甚だ影の薄い少年だったのである。
 三船美佳の母親は、三船敏郎の正妻ではなかった。ネットで調べると彼女は三船の「妾」として表記されている。三船敏郎は妻と別れて美佳の母親と結婚することを望んでいたが、正妻が頑として離婚を拒んだために、彼女は「妾」と目されることになってしまったのだ。
 三船敏郎は律儀な男だった。しかし、黒沢明監督と衝突して喧嘩別れのかたちになった後は出演映画に恵まれず、節を屈して黒澤陣営に帰参することを願い出ている。が、それも思うに任せなかったため、彼は酒を飲むと暴力をふるうという癖を悪化させるようになった。加うるに三船は認知症の兆候を見せ始めたから、三船の実質的な妻になっていた美佳の母親からも見捨てられるという羽目に陥ってしまう。そういう三船を引き取って、最後まで面倒をみたのは三船から邪険な扱いを受けていた正妻だったのである。
 愚老は東京にいた頃、銀座の舗道でまだ婚約期間中だった三船夫妻を見かけたことがある。晴れた日の正午頃だった。前方から女連れの三船がやってきたので注目していると、三船は愚老より4,5メートル先を行く中年男を不機嫌そうな目で睨んでいた。その三船が、すれ違う瞬間に今度は愚老にその猛々しい視線を向けてきたのだ。
 三船は照れ性だったというから、通行人から好奇の目で見られることが苦痛だったに違いない。それにしても、こちらをにらんだ彼の目は尋常ではなかった。三船と目を合わせたヤクザが、思わずその場で詫びを入れたという話があるほどの殺気を含んだ猛々しい視線だったのである。
 その日の夕方、何気なしに立ち売りの夕刊を買ったら、三船が婚約者の女性と日比谷公園でインタビューを受けている記事が載っていた。新聞に載っている三船と連れの女性の写真を見たら、その服装は、昼間、銀座で見たとおりのものだった。彼は公園で記者と対談した後で写真を撮られ、その足で銀座に回り偶然通りかかった愚老とすれ違うことになったのである。
 三船とインタビューした記者は急いで原稿を書き、それが印刷所に回わされて早くも夕刊の記事になった。新聞の記事というものは、こんなにも素早く印刷され世に現れるものなのかと、愚老は認識を新たにしたのであった。
 三船美佳の母親は、三船敏郎が有名になってから、その愛人になったが、三船の正妻は東宝のニューフェースだった時の夫の同期生であり、夫が名声を得るまでの苦労を身近に見ていた。だから、以前の恨みを忘れて愛人に捨てられた夫を引き取って、死に水を取ってやったのである。
 三船美佳も高橋ジョージが名をなしてから、ファンの一人として高橋に接近している。二人が知り合ったのは、美佳が14歳の時で、翌15歳になったときには早くも彼女は高橋の嫁さんになることを夢見ていたという。そして、彼女は法律上結婚が許される16歳になると、待っていたように彼と結婚している。
 三船敏郎と結婚できなかった母を見ていただけに、高橋と結婚したときの美佳の喜びは十分に想像できる。敏感な彼女は、自分が正式に結婚した親の子供ではないことを引け目に感じていたから、高橋の妻になったことに強い誇りと喜びを感じたのだった。その彼女が、母親と同じように「憧れていた男」を捨てたことに因縁のようなものを感じるのは愚老だけであろうか。
 つまようじ19歳も逮捕されて、その存在が明らかにされるまでは、級友にすら何の印象も記憶も残していない平凡な生徒だった。だからこそ、いきなり全国区レベルでの有名人になろうとして、事件を起こしたのである。彼は、今度の事件以前にも犯罪行為を犯して少年院に送られている。その事件を見ると、彼には自分を無視する社会への怨恨のようなものがあったと思われる。彼にとっては、万引きも社会に復讐する方法の一つだったのである。