容姿の問題
今朝読んだ新聞(土曜版)の「身の上相談」欄に34歳女性の質問が載っていた。「面食いは損でしょうか」という題名で、その書き出しはこうなっている。
「私は大の面食いです・・・・美男子とでないと食事もおいしくなく、愛の営みも楽しくないからです。たいしておいしくない料理でも、いい器だとおいしく感じるのと同じです」
この投書を閉じるに当たって、彼女は誇らしげに外人の男性モデルからウインクされた体験を述べ、その後でこう尋ねるのである。
「うれしい気持ちと同時に『こんなことをされるのも、もうじき終わりか!?』と思ったりします。最近は私は白髪が生え始め、肌つやもなくなってきました。長い目で見ると面食いは損なのでしょうか?」
この相談に対する美輪明宏の返答は、辛辣を極めていた。
「相談者は自分のことを『男性に好かれる顔立ち』と書いていますが、何を根拠に言っているのでしょうね。いま一人でいるようですが、本当に男性にもてていたら、一人でいるわけがないでしょう・・・・自分がなんぼのものか知らず、イケメンにふさわしいとうぬぼれている。相手にとってはいい迷惑。迷惑防止条例にひっかかります」
と述べた後で、こう続ける。
「『腐れ卵の<がわ>ばかり』というでしょう。外はきれいに見えても、中が腐っている。イケメン、イケジョは要注意の代物なんです。絵画鑑賞と同じように、見るだけにしておくのが身のためです」
これを読んでいて愚老が思い出したのは、ハンサムな友人のことだった。若き日の彼は、女性を美女かブスかで区別して、美女でない女を頭から無視してかかっていた。そして、「オレは、小説を読んでいてもヒロインが美しくないと、もう読む気がしなくなるんだ」と放言していた。
作家の中でもハンサムだった渡辺淳一は、こんな放言をしている、「男が性交の相手に美女を求めるのは、きれいな便器で放尿したがるようなものだ」と。
女も男も、優れた容姿にめぐまれると、美しい異性を選り取り見どりで手に入れることが出来る。そればかりではない、美しいか否かは強弱の差を生み、未知の異性に対しても強者として振る舞うことが出来るようになるのである。
愚老は文化祭の準備を生徒と一緒にしていて、受け持ちのクラスのイケメンが、ほかのクラスの女生徒たちに命令口調で指示するのを見て驚いたことがある。
もっと驚いたのは、女生徒たちが主人の命を受けた召使いのように黙って指示通りに行動していることだった。それ以来、注意してみていると、イケメンはクラスの女生徒数名を意のままに動かしていた。イケメンが短い言葉で一言二言何かいうと、彼女らはその通り動くのだ。
では、イケメンや美女たちは何時までもその特権を享受できるかといえば、そうとは限らない。「君の名は」で人気絶頂だった頃の佐田啓二は、所用があって一流料亭に出かけ、応対に出てきた女中に、「どなた様でしょうか?」と尋ねられて、見るも無惨なほど顔を歪めたと、その時同行していた知人が語っていた。
人気者の自己評価は異常なほど高くなっているから、自分を知らない者がいただけで自尊心を傷つけられるのだ。人気者の中には、好奇の目で見られただけで怒りを感じる三船敏郎のような人物もいる。
だが、世の美女やイケメンにとって、もっと恐ろしいのは寄る年波による美貌の変化だ。無償で与えられたものは、予告無しで奪い取られる。人間は、「本来無一物」で生まれて来て、「本来無一物」で死んでいくのである。与えられた無飾の「素」に甘んじ、淡々と自然に生きていくしかないのだ。