死の予兆
夏のエアコン・冬の石油ストーブがまだ十分に普及していなかった頃、人が死んでいく前に予兆というものがあるのではないかと思っていた。
例えば、健康そうだった知人が夏の暑さや冬の寒さにぐったりしているのを見て、(何だかつらそうだな)と思って辞去する。すると、一年ほどして彼の死を報じる通知が来るというような経験を重ねると、夏の暑さ・冬の寒さに耐えがたさを感じるようになると命が危ないという経験知が頭に焼き付くことになる。
自分自身に引き当てて考えると、夏の暑さには強いが冬の寒さに弱い傾向があるので、愚老は冬の寒さにダウンしたら死ぬことになるぞ思いながら、毎年の冬を過ごしてきたのだ。
ところが、最近、これは危ないぞと感じる「予兆」を全く別の方向から感じることになったのである。発端は、電動自転車に乗って文藝春秋を買いに出かけたことだった(芥川賞作品を掲載している文春を購入するのは、ここ十年来の慣例になっている)。久しぶりに街に出るのだからと、出発するときにはもう一つ別の店に立ち寄ることを予定していたのに、なぜか雑誌を購入すると、そのまま折り返して帰宅してしまった。この辺から何だかおかしかったのである。
帰宅して二階の自室に戻ると、まずベッドに横になって体を暫時休息させることにした。それから体を起こし、傍らにあった机に向かう為に椅子に腰を下ろしたら、腰にぎくりと感じがあり、鋭い腰痛が走ったのである。
腰痛は持病のようなものだったが、これほどの痛みは近年感じたことがなかった。再びベッドに戻り七転八倒していると、知らぬ間に、これに胃痛が加わって来ている。さらに横隔膜の下方からも痛みが加わり、痛みの三重奏になっている。胃痛も持病で、以前に胃の摘出手術を受けているけれども腰痛と胃痛が合併して出現したことなど一度もない。まして痛みが三重奏になるほど賑やかに到来したことなど経験したことがなかった。
家内はしきりに医師に診てもらえと勧めるが、その前に自分で考えられる対策を講じてみることにする。腰痛は寝て直す以外に方法がないから、いろいろと寝方を工夫してみる。どういう寝方をしてみても痛みは治まらないから、枕を抱えてうつぶせになり、うつぶせと仰臥を何遍も繰り返しながら、一番痛みの少ない寝方を探っていく。
胃痛には宿便が関係しているかも知れないと「スルーラック」で、強制排便を試みる。こうした努力を数日続けているうちに腰痛も胃痛もほぼ解消した。が食欲は全くない。少し堅めのものを胃に入れると、忽ち胃痛が始まるのである。そこで家内の作ってくれる粥を口にするだけで、静かに寝ているだけの生活を続ける。
その間に新聞に目をやると、「平穏死」に関する記事があった。高齢で病気になると、最早、体は食物も水も必要としなくなる。肉体が欲しないものを力ずくで与えようとして、点滴を施したり胃瘻手術を行ったりすると、逆効果になって更なる余病を併発させることになる。
だから、食物や水を欲しなくなったら、それらを無理に与えることなく、眠るように平穏に死なせるべきだというのである。
としたら「孤老死」を迎える老人たちは、実は平穏で幸福な死を迎えているのではなかろうか。愚老は今でこそ結婚して妻子に恵まれ、何一つ不満のない幸福な日常を送っているけれども、以前は自他共に許す独身主義者だった。そのため、「孤老死」する老人を「もう一人の自己」「あり得べきだった自分」と考えてしまう傾向がある。
彼らは体のどこかに故障が起き、横臥することの多い状態になったら黙って静かに寝たままで居るに違いない。彼らが飲まず食わずで眠るように死んで行くのも、何も飲みたくないし、食べたくないからなのだ。
愚老はこの数日間飲まず食わずに近い状態にあり、昨日ようやく「飲むヨーグルト」「リンゴジュース」を自分から注文を出して買ってきてもらった。人が水と食物を拒む状態とは、平穏死を迎える予兆かもしれず、愚老は確かに臥床中、死を受け入れていたのであった。
今日は、買ってきたきり机上に放置してあった文春を開き、芥川賞受賞作品を読了した。そして、ここにこうして駄文を綴っている。これから、久しぶりに堤防に登って、天竜川を眺めようと思っている。