甘口辛口

謎のスパイM(4)

2015/3/18(水) 午前 11:31
 謎のスパイM(4)
 
 多重スパイだったと言われる野坂参三について、立花隆はこう語っている。

 「野坂の一貫した基本的行動原理というのは、いってみれば、場あたり的な自己保身。そういう自己保身をやっているうちに、どんどん何重スパイにもなっちゃった。何重といっても、きっちり契約してお力ネをもらうというような関係じゃなくて、その時々であっちへ情報を流したりこっちへ流したりしていたわけでしょう。とすると、戦後のあの状況下 で、野坂にとって何がいちばん大切だったかといえば、ソ連との関係もさることながら、それは占領軍との関係ですよ。占領軍が日本を支配していたんだから、その占領軍といい関係をつくるということが、彼の当時の自己保身にとっては最上の策でしょう。そうしたら、要するに占領軍好みの共産党にするほかないわけですよ。その結果は、スターリンがカッカ怒るようなものになっちゃう」(「闇の男・野坂参三の百年」)

 しかし、多重スパイとして生きることは、容易ではなかったらしく、野坂が関係した事件として、こんな話が残っている。
 野坂はコミンテルンの執行委員としてアメリカに滞在していた頃、コミンテルンの資金でアメリカ西海岸に印刷所を作った。ここでは日本向けの秘密出版物も印刷していた。当時の日本では当局の取り締まりが厳しく、日本国内でコミンテルン関係の文書や共産党の宣伝文書を印刷することが不可能になっていたからだった。
 刷り上げた秘密文書を日本に運び込むためには、アメリカ在住の日本人共産党員数名にそれらを託して分散帰国させるという方法を取ることになった。だが、彼らは日本に到着すると同時に全て、官憲に逮捕されてしまった。野坂がこのことをあらかじめ日本の特高に通報していたからだった。
 彼はこの件ではアメリカでの文書印刷からはじまって、日本に渡航するメンバーの選定まで、最初から一切にタッチしていたのである。野坂は一方で綿密に計画を立て、他方でその計画を一挙に瓦解させるという手の込んだことをやっていたのであった。野坂を取り調べたソ連の秘密警察係が、「この男のやることは、入り組んでいて底が知れない」とお手上げの状態になったというのも無理がなかった。
 部外者の立場からすると、野坂の行動には分からないことが多すぎるのである。
 コミンフォルムが野坂の平和革命路線を否定したとき、徳田球一をはじめ日本共産党幹部の多くはコミンフォルムに反発して野坂路線を支持した。だが、宮本顕治らは、党内でこれに反旗を翻してコミンフォルムの批判を受け入れ、徳田・野坂の主流派と対立することになる。
 その後、徳田・野坂らは北京に逃れ、宮本グループは日本に残り、両派は海を隔てて睨み合う形勢になったが、やがて意外な事件が起きるのである。野坂が帰国して、宮本顕治と提携することになったのだ。この背後に何があったのか、理論的背景も、人間論的背景も、部外者には不明のままになっている。
 野坂とゾルゲ事件の関係も、よく分からない。
 伊藤律はゾルゲ事件の密告者だということで糾弾されているが、これは本当の密告者だった野坂を隠すために、日本側と占領国側が流したニセ情報だという説があるのである。この件に限らず、野坂と伊藤律の関係は混み入っていて、現代史の謎の一つになっている。けれども、この真相が明らかになることは永遠にないかも知れない。(つづく)