甘口辛口

落合監督の涙

2006/10/11(水) 午後 1:22
スポーツの世界には、シロウトの知らないでいることがいろいろとある。例えば、コメンテーターが、女子プロゴルファーの男性化傾向について触れたあとで、彼女らが「ガツガツ食って、グウグウ寝る」生活をしているというのを聞いて、私達は成る程なあと思う。地元のローカル紙の伝えるところによると、当地のゴルフコースでゲームをした女子ゴルファーらは、近くのバーに押しかけてきて、強い酒を一気に飲み干し、さーっと引き揚げていったという。これも、成る程なとうなずける話だった。

プロのスポーツマンは、「勝つ」という一点に絞って生きているから、その暮らしぶりも当然われわれと違ったものになる。平凡な日常を送っている私たちには、ことの意外に驚く事例が多いのである。

意外といえば、中日のリーグ優勝を決めた昨日(10月10日)の試合で、落合監督が手放しで泣いたのも意外だった。プロ野球の監督は、自分が率いるチームが優勝しても平静を装い、応援してくれたファンに感謝したり、自軍の選手をたたえたりするのが普通なのだ。私はこれまで優勝して涙を流した監督を見たことが一度もない。だが、落合監督は記者達の前で涙をぼろぼろ流して泣いたのである。しかもこの監督はポーカーフェースの名人で、試合中何が起こっても表情を変えたことで知られていたのだ。

その落合監督について、先週の週刊誌は、<「誰も望んでいない」落合・中日優勝>という記事を載せていた。それによると、唯我独尊の監督は記者への応対が不遜で、気に入らない質問には返事をしない、こんなふうだからマスコミの受けが極めて悪かった。また、彼は名古屋の財界人のパーティーなどに顔を出さないので、スポンサーから嫌われ、球場の年間指定席の売れ行きは低調、観客動員ものびていないという。

こういう記事の後に、消息通による次のような談話が載っていた。

<落合は三年契約の三年目なのですが、今年の折り返し時に白井文吾オーナーに報告に行ったとき、続投要請が一切なかった。一年目から優勝、二位ときて今年も首位を走る監督には『来季もぜひ』ぐらいは普通いうでしょう。さすがの落合も驚いて、それ以降は多少番記者へも話すようになったとか>

優勝決定の瞬間に、落合監督が感涙にむせんだのには背後から阪神に急追されて尻に火がついていたこと、そして当夜の試合でも相手チームに追いつかれて延長戦になり、勝敗の行方が分からなくなっていたことなどが関係していた。だが、それ以上に週刊誌の記事を読んでショックを受けた監督の心情が、大きく関係していたに違いないのだ。彼としては、ああいう記事を書かれたからには、是が非でも優勝しなければならなかったのである。

落合監督や江夏豊投手は、我が道を行く個性の強さで知られている。二人とも自分の技術と実績に自信があったから、誰はばからず我流を押し通して来たのだ。特に落合はキャンプの段階から「オレ流」を貫き、独自のメニューで練習をつづけ、監督やコーチの指示に従わなかった。だが、彼らが選手でいるうちは、それでもよかった。監督・コーチの前で平身低頭している選手の多い中で、彼らの存在は「異端児」として、ひときわ異彩を放っていたからである。

しかし、我が道を行く異端児達は、世評に鈍感なわけではない。人一倍敏感に、監督・コーチの怒りや同僚選手・マスコミ関係者の感情を読み取っている。だからこそ、彼らは世評を意に介しないというポーカーフェイスを続けなければならないのだ。外部の声に耳を傾けて自己の生き方を修正したら、独特な生活システムのうえに築かれていた肝心の野球技術まで崩壊してしまうからである。

落合監督が、「彼も人の子」という姿を見せたのは、落合家の一人息子を取り上げたテレビ番組のなかだった。まだ幼稚園児段階だったこの一人息子のやんちゃぶりと来たら言語道断で、テレビカメラの前で卓袱台に飛び乗り、ズボンの前を開いて畳の上に小便をし始めたのだ。こういう腕白坊主の前で、日本を代表するスラッガーたる落合選手が、王子に仕える侍従官のようにまめまめしく奉仕していた。彼は親バカのあほらしい素顔を、テレビを通して満天下に公開したのだった。

そもそも「オレ流」・我流を貫き通す人間は、情におぼれやすいタイプの人間なのである。だからこそ、彼らは個人感情を押し隠さねばならず、ポーカーフェイスや傲慢不遜の態度を装わなければならない。それ故に、感情を制御できなくなった時に見せる彼らの表情は、通常よりずっと激しくなる。

私は涙を流す落合監督を見ていて、不快な印象を受けなかった。球場にいた観客達の反応も好意的だった。人間が本来の地を見せたときには、人は誰でも好意を持って相手に酬いるのである。