甘口辛口

女性の体型変化

2007/1/31(水) 午後 9:50
旧制中学に通っていた頃、学校に新卒の若い教員が赴任してきた。
都会育ちの新任教師は、私たちの教室にやってくると、信州の印象をいろいろと語ったあとで、一緒に当地にやってきた友人が作ったという短歌を披露した。

      みすずかる信濃の国に来てみれば
            乙女の頬はリンゴ色せり

私がどうして60年以上昔に聞いた歌を今もなお覚えているかといえば、東京で暮らすようになって、この短歌を、改めて思い出したからだった。故郷の信州で見かける娘たちは、たいてい家が農家だった。彼女らは、畑仕事を手伝いながら、紫外線の強い高地の陽光を浴びて、自然に赤い頬になったのだ。これに比べると、東京の若い女性は一日の大半を屋内で過ごしている。顔も自ずから白くなるというわけだ。

その後、この短歌を思い出すこともなくなったが、二年前、近くの公園に花見に出かけた時に、またこの歌が頭に浮かんできた。私はこれまで花見の喧噪を嫌って、桜の名所に近づいたことがなかったけれども、来訪した長男一家が近くの公園に出かけるというので、一緒について行ったのだ。

持参したシートに座っておびただしい花見客を眺めたり、デジカメで満開の桜を撮影したりして数時間を過ごした。一カ所に集まった人々を、こんなにも長い間眺めていたことはほとんどない。

そのうちに、なんだか変だな、と感じ始めた。ここにやってきているのは、大体が地元の人間たちである。ところが、20代、30代の女たちを見ていると、こちらの持っている「信州女」のイメージと合致しないのだ。50代以上の女性はイメージ通りなのに、それより下の世代の女たちは、体型の点でも、顔色の点でも、昔とすっかり変わってしまっている。体がほっそりとして背が高く、顔色が白くなっているのだ。つまり、都会風になっているのである。

私はうかつにも、身の回りの女たちがこんなにも変化していることに気がつかないでいた。そして、気がついた瞬間に、私は、

        みすずかる信濃の国に来てみれば
              乙女の頬はリンゴ色せり

という短歌を久しぶりに思い出したのだ。

一度、そのことに気づくと、私の詮索する目はいよいよ細かくなって、ひょろっとした女性、端的に言えば「もやし」のような女性が少なくないことに着目し始めた。当地は最早、農業を主たる産業にする地区ではなくなっているのだ。昔は、学校に通っている女の子でも、日曜日になれば田んぼや畑に出て農作業を手伝ったものだが、今や、専業農家の子どもたちですら、農作業を手伝うことがなくなった。そして女の子は、中学生の段階から肥ることを恐れてダイエットをするようになったのである。

私は少子化の話題が出るたびに、公園で見た「もやし」のような女たちを思い出す。厚労大臣は女性を「産む機械」だと言い、少子化を阻止するには妊娠可能期間にある女性に頑張って貰わなければならぬと演説している。女性が安心して子どもを産める環境を整えないで、ただ頑張って子供を産めと号令をかけるところは、いかにも安倍内閣の閣僚らしい。

だが、内閣が心がけを改めて環境を整えても、年を追うごとに痩せて「美人薄命型」になっていく日本女性が、ちゃんと子どもを産めるかどうか心配になるのだ。医学的に出産は無理という女性が、少しずつ増えて行くのではなかろうか。

世の中には、「少子化は結構」と公言する論者もいる。確かに、こんな狭い島国に一億人を超える人間が住むのは無理かもしれない。日本国の適正人口は5000万人程度と思われるが、少子化の進行が今のように激しければ、マイナスが多すぎるのである。

日本の将来を考えたら、文科相は基礎学力の低下などを心配する前に、生徒たちの体質改善に努力すべきではなかろうか。中教審は、小中高の体育の時間を増やし、生徒の好むスポーツ種目を考案するように政府に勧告すべきではないか。

二年前の花見から、どうやら私はカリキュラム改正論者になったらしいのだ。