甘口辛口

中曽根康弘と宮沢喜一(その1)

2007/4/7(土) 午後 0:53
正義といわれるものには、二種類がある。
一つは、人類普遍の正義であり、もう一つは特定の国家や宗派が擁護する正義だ。前者が世界的な正義だとすれば、後者はローカルな正義ということになる。

ローカルな正義が、一国全体を支配することもある。ナチス全盛期のドイツでは、ユダヤ人を絶滅することがドイツ国民の正義だったし、日本の軍部とその影響下にあった日本人にとっては、近隣諸国を侵略して「大東亜共栄圏」を建設することが正義だった。

人類すべてが求めている正義とは、人間平等論を母体にした民主主義と国際協調主義の政治なのだが、ファシズム政党や軍部は、これらを個人主義、自由主義、敗北主義だとして独裁国家を作り上げたのだった。

ローカル意識の強い時代には、政治家も国民も、世界などというものは実態のない「空語」に過ぎないと考えていた。「たけしのTVタックル」という番組に常連コメンテーターとして顔を見せている三宅という政治評論家は、番組上で、全身に侮蔑の表情を見せて、「国連なんてものは、屁みたいなもんですよ」と放言していたが、昔も今も右傾評論家の専売特許は「世界」やヒューマニズムを小馬鹿にしてみせることなのだ。

だが、独裁的な権力が反対派を追放して国内に敵がなくなり、したい放題なことをするようになると、どこにも存在しないと思われていた「世界」が姿を現してくるのだ。

第一次世界大戦後に成立した国際連盟は、日本による満州侵略の実情を調査するためにリットン調査団を現地に派遣した。その報告書を採択するかどうかを本会議で投票にかけたところ、採択に賛成が42票、反対は1票(日本)だけという結果に終わった。日本の侵略行動が、大差で認定されたのである。

この会議に出席した日本側の主席全権は松岡洋右だった。彼は演壇で原稿なしで一時間を超える大演説をしたり、登壇、退出の際に歩きながら通路の両側に座った各国委員に向かって大声で日本の主張を訴えたりした。この様子はニュース映画で報道されたから、松岡は一気に人気者になり、日本人の多くが松岡とともに国際連盟何するものぞといった誇大妄想にとりつかれたのだ。日独伊の三国同盟は、外務大臣になったこの松岡の手で結ばれた。

国際連盟を脱退した日本は、以後、世界を敵として戦うことになる。

独裁的な権力を握れば、国内の反対派を一掃できる。しかし、国内の反対派を一掃すれば歯止めがきかなくなって、やることなすことが「世界世論」と決定的に対立するようになるのだ。そこまで行かなくても、一党支配が長く続けば、その国はローカルな正義と人類普遍の正義との間のギャップを大きくして、世界から孤立しはじめる。現在の自民党政治は、まさにその段階にある。

日本は、世界の先進国の中で唯一の一党支配国家だ。にもかかわらず、日本が世界から信頼されていたのは、自民党内にリベラルなグループがあり、党内の右派との間で一種の「政権交替」を行っていたからだった。

だが、小泉政権以後、党内のリベラル派は四分五裂の状態になって力を失い、ウルトラ右派の安倍政権を生み出してしまう。そして安倍首相は、従軍慰安婦問題で失言を繰り返し、アジア近隣諸国だけでなく、世界諸国からも、孤立することになった。

ここで自民党内の保守派とリベラル派の代表的人物を取り上げて、その人柄を比較してみよう。

保守派を代表する中曽根康弘は、海軍の経理将校だった。彼の人間としての決定的な弱点は、戦争中にデスクワークをしていて戦場の実相を知らないことにある。戦後になっても、なお無反省に戦争を賛美し続けたのは、戦場体験を持たない見習将校や青年士官たちだったが、中曽根はその心情において彼らと同根なのである。

上昇欲求の強かった彼は、代議士になると党内の風向きを見て、常に強そうな側に身を寄せた。そして、自分にとってあまりトクにならないと感じると、平然と態度を変えたから、彼には「風見鶏」というあだ名が付けられた。

昔、大映社長の永田雅一が、「アフタヌーンショウ」という番組で中曽根に関するエピソードを語っていた。

映画会社を経営して収益を上げた人物が、その儲けを特定の政治家につぎ込んでパトロンになることはよくあることらしく、永田雅一も会社の金を持ち出して岸信介につぎ込んでいたのだ。だがら、岸信介が首相になったときに、永田社長は後見人気取りで組閣本部に陣取り、岸が次々に大臣を決めて行く現場に立ち会っていたのである。

「中曽根のカアちゃんには、驚いたな。あれはすげえ女だよ」
と、永田社長は、叩き上げの人間らしい俗な言い回しで組閣本部にやってきた中曽根夫人の話をはじめたのだ。
「中曽根を大臣にする約束をしてくれなければ帰らないと言って、座り込んで動かないんだ」

良家のお嬢さんだったという中曽根夫人が、自分の一存で組閣本部に乗り込んだとは到底思えない。この背後には中曽根がいて、その指示を受けて夫人は動いていたのである。機を見るに敏で、権力を握るためには何でもするというのがこの「風見鶏」政治家の特徴なのである。

このタイプの政治家は、目端が利くから、その時々の政治課題に敏感で、政権を取ればなかなか有能なのである。しかし、問題は俗受けのする短期的な目標ばかりを追いまわすから、どうしても遠大な視野を失い、ローカルな論理で動いてしまうことなのだ。彼らは、平生、その時々に小さな利得を求めて、利己的に行動している。だから、内政においても、対外政策においてもこの行動原理で動き、当面の国益を確保はしても、将来に禍根を残すことになる。
(つづく)