甘口辛口

佐野洋子の炯眼

2007/8/6(月) 午後 5:17

「深沢七郎集」の月報で佐野洋子の名前を覚えたので、彼女のエッセー集「神も仏もありませぬ」を購入した。これは小林秀雄賞を受賞した名エッセーだそうである。無神論者の私は、本の題名にも惹かれた。神も仏もありはしないという題名から、彼女を無神論者だろうと推定し、その無神論についても知りたくなったのだ。

ところが、本の何処にも無神論について書いてなかった。
予想が外れたのは、それだけではなかった。本の「腰巻き広告文」には、「そして、私は不機嫌なまま65才になった」と印刷してあり、「あとがき」も以下のようになっているにもかかわらず、書中、不機嫌になった彼女について触れている文章もほとんどないのである。

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< しかし、私は全然死なないのだ。日々飯を食い、糞をたれ、眠った。・・・・呆けた母を見舞い、妹とけんかし、テレビを見てむかついた。
 
むかつくと、年々むかつきかげんが仮借なくなってゆくのがわかった。年寄りというものは十四歳の少年のようにむかついているのだろうか。むかつき度の濃くなっていくのは私だけだろうか。一人で暮している私は、気がつくと不機嫌なのだった。・・・・そして、私は不機嫌なまま六十五歳になった。>

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だいたい、女性に無神論者などはいないし、女性が本当の意味で不機嫌になることなどありえないのである。まして佐野洋子は、学生時代に「ジロチョー」とあだ名で呼ばれていたような陽性にして奔放な元気印の女なのだ。

佐野洋子が「ジロチョー」と呼ばれるに至った因縁について、彼女は次のように書いている。東京の予備校で学んでいた頃、彼女は「君の田舎はどこ?」と男子学生に質問され、「清水」と答えた後で、とんでもないホラを口走ってしまったのである。

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<「清水の次郎長って知っている? あれ私のお祖父さん」と大嘘をついた。
 次の日学校に行くと私は「ジロチョー」というあだ名になっていた。こまったと思ったが遅かった。たちまち私は大声で友達としやべるようになり、ガニ股だったため、学 校をのし歩いている様に見えたかもしれない。>
 
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ジロチョーというあだ名は大学に入学後も続いた。しかし彼女は清水の次郎長については、何も知らなかった。その彼女に転機が訪れたのは、目白駅構内の屋台店のようなところで、浪曲「二代広沢虎造・清水次郎長伝」というCDを一束買ってからだった。

それまで彼女は浪曲の声が動物のうめき声のようで気味が悪いと思っていた。浪曲師の語る言葉も何一つ分からなかった。彼女は、浪曲というものを下品で滑稽なものと考えていたのだ。

ところが、目白駅からの帰途、14枚が組になったCDの一枚をクルマのプレーヤーにかけてみたら、印象が一変したのである。

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<車のCDプレイヤーに清水次郎長伝第一巻「秋葉の火祭り」を入れた。男の声がする。
私はこんないい声の男が居たのかと驚いた。私が動物のうなり声だと思ったのは、

 #富士と並んで その名も高い 清水次郎長海道一よ 命一つを長脇差にかけて 一
 筋仁義に生きる・・・・・
 
と歌っていた声だった。すみずみまで手入れをして、みがいて、こすって光らせた様
な声なのだ。どんな低音になってもはっきり日本語が私の耳に入って来る。そう云えば
美空ひばりの声もそういうものだった。

・・・・64才の「ババア」は、もう男でも女でもなく「ババア」という生き物だ。若
い女だった頃ジロチョーというあだ名だった女だ、私は。なってやろうじゃないか次郎
長に。>

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女ジロチョーとして生きることを決意した佐野洋子が、口やかましい小言屋になったかというと大間違いで、彼女は近隣の仲間や東京の知人と楽しげに溌剌と動き回るようになる。本の過半を占めるのは、彼女の愉快な交友録なのだ。

それらも面白かったが、読んでいて私が感心したのは彼女が女性心理をはじめとする人生の真実を、ズバリズバリと言い当てていることだった。

<今思うと、十代の私は自分のこと以外考えていなかったのだ。共に生きている同時代の人たち以外に、理解や想像力を本気で働かせようとしていなかった。>

男も女も十代の頃は自分のことしか考えていない。だが、その度合いは女の子の方がはるかに強く、十代の少女が自我の深みで思うことは彼女自身のことだけなのだ。

<美しい女が才能に恵まれると、世の中の99%の女は嫉妬にまみれて、いささかの反感を持たないことはない>

確かに、そうだ。私は、才色兼備の女性が同年配の仲間から愛されるのを見たことがない。

佐野洋子は、テレビでワールドカップの決勝を見ていてドイツのゴールキーパーをつとめるカーン選手に強く惹き付けられる。

<何かものすごい顔をしているなあ、とても美男とは云いがたいが、コンドルかワシがえものをしとめる様に、どんな球もあの手の前にはじき返される。あんな亭主が居たら、どんなにぬくぬくとしていられることか。いかなる難しい問題も、家庭という守るべきゴールの前でバチバチたたきおとしてくれる。あんな男に守られて安らかな一生をおくりたいものだ。>

そうか、そうか、女性が決してハンサムとは言い難いどう猛な顔つきの男に惹かれる理由は、ここにあったのか。

<利口な奴は生れた時から利口なのだ。馬鹿は生れつき馬鹿で、年をとって馬鹿が治るわけではないのだ。馬鹿は、利口な奴が経験しない馬鹿を限りなく重ねてゆくのだ。そして思ったものだ。馬鹿を生きる方が面白いかも知れぬなどと。>

これは、いささか負け惜しみの気味があるが、損得勘定を離れて人の世を概観すればこの通りかもしれない。

佐野洋子は、炯眼の持ち主であるが、これは彼女が北京生まれの引き揚げ者で成長するまでに千変万化の経験をしてきたためらしい。彼女は、数えてみたら39回引っ越しをしてきたそうである。佐野洋子は詩人の谷川俊太郎と結婚し、離婚している。