甘口辛口

ドキュメント「見事な死」

2008/1/15(火) 午後 4:54

<ドキュメント「見事な死」>

文藝春秋が「見事な死」について特集を組んでいるというので、一冊買ってきた。

もっとも私は、死んでいくのに見事もヘチマもないと思ってはいる。何の病気で死ぬかによって人間の「死にざま」は決まるのである。そして人は自分の死病を選ぶことが出来ないのだ。ガンになれば、どんな達人でも多少の見苦しさを人に見せざるを得ないし、老衰で死ねば外見上「見事な大往生」ということになる。

自殺のうちで一番多いのは、高齢者による病苦を原因とする自殺だと聞いたことがある。これだって、死に方の一つなのである。吉村昭は点滴の管を自分で引き抜いて「自殺」したという。これを大河内昭爾は「賢明なる自然死」といっている。点滴のチューブなど引っこ抜いてしまいたくなるのは人間性の自然だから、こうした行動による死は自然死と言ってもいいのである。

ということで、死にざまが見事かどうかというようなことを度外視して読めば、これは結構面白い特集になっている。

例えば、宇野千代は90代のある日、老いても一向に衰えを見せない自分を眺めて、「私は死なないような気がする」と思った。それで百才になったら、祝いの会に着るつもりで大振袖を用意しておいたが、彼女は98才で亡くなったので、大振袖はお別れの会の式場に飾られることになった・・・・というような話がこの特集には載っているのである。

小田実は75才でガンのため亡くなった。
彼は、医師の口から余命が僅かであることを知らされる。この宣告を彼は北朝鮮籍の妻と一緒に受けたが、そのあと病室に戻った彼は、妻に向かって、「この世にお前ほどの女はいなかった。しかし俺ほどの男もいなかっただろう?」と言ったそうである。この言葉には、自信満々、この世を大手を振って生きた男の面目のようなものが感じられる。

杉浦日向子の言葉も面白かった───「人間は病気の容れ物。何かしら病気があるのが当たり前で、それと引き替えに生きている」

「厭がらせの年齢」で認知症の老女を描いた丹羽文雄が認知症になり、百才まで生きたというのも初耳だった。彼が認知症になったことは知っていたが、百才まで生きたことは知らなかった。作家というのは画家などに比べると短命で、この日本で百才まで生きる作家が出現するとは思わなかったのだ。

「テロリストのパラソル」で、江戸川乱歩賞と直木賞をダブル受賞した藤原伊織は、59才で亡くなっている。彼は常々、「おれは60才ぐらいまでしかもたないよ」と言っていたそうで、その予言通りの死に方をしたのである。私自身もそうした予感を持って生きていたから、彼の予言通りの死に対してはある種の感慨を抱かないではいられない。自分の寿命に自信の持てない人間は、どうして相談したように60という年齢を持ち出すのだろうか。

しかし、私が一番興味を持って読んだのは、三木のり平に関する記事であった。

三木のり平の演技には、他の喜劇役者とくらべるとコクがあり、そのコクは落語の古今亭志ん生に通じるところがあるような気が以前からしていたのだ。

三木のり平が、目を白黒させたり、大仰に驚いて見せたり、とぼけた口調で台詞を言ったりするとき、それらの滑稽な仕草やイントネーションの中に彼しか持っていない性格的特性がにじみ出ているように思われるのだ。その固有なものは、彼の人間性の奥底からにじみ出てくるものなのである。

私があれこれ言うよりも、長男の思い出を引用したほうが分かりやすい。

<家庭での父親は複雑怪奇に
ひねくれていて、屈託が服を着ているよ
うな近寄りがたい存在でした。普通の会
話が出来なくて家族団らんが苦手という
人ですから、家族だけでいると間がもた
ない。

僕は父が家にいるだけで緊張しま
したし、小言を言われるのが怖くてなる
べく顔を合わさないようにしていたほ
ど。

たまさか機嫌がよくて家族にやさし
く接することがあっても、そんな自分が
無性に恥ずかしくなるのか、翌日は前日
のやさしさを帳消しにするくらい意地悪
になる。

つまり極度の照れ屋。生きてる
ことそのものが恥ずかしいと思っている
ような人でした>。

「生きてることそのものが恥ずかしいと思っているような人」という一節に三木のり平という人物の性格が見事にとらえられている。

<舞台で
同じことをやって同じように笑ってもら
うのが恥ずかしいから毎日違うことをや
る。決して予定調和的な演技をしない。

父が出ている劇場を託児所代わりにして
育った僕にとって、三木のり平ほど毎日
観ても飽きない役者はいませんでした。

・・・・・その間に母も亡くな
り、僕も家を出てしまったので、父は一
人で暮らすことになってしまいました>。

長男はこうした三木のり平とうまくやっていけなくなって家を出てしまう、他の子供も独立して家を出て行ったから、三木のり平は最後にはひとりぼっちになってしまった。彼は夜になると、近所の飲み屋をはしごするようになる。誰もいない家に帰りたくないから、孤独な酒をきりもなく飲み続けたのである。

末期ガンで入院した三木のり平は、死を覚悟していたのか、点滴や投薬のたぐいを一切拒否して、数日で死んでいったという。

三木のり平の演技に見られるコクのようなものは、こういう彼の人生が生み出したものだった。彼の性格の深いところに凡常を超えた根深い羞恥があった。存在することそのものへの本源的な羞恥。これが、彼固有の「芸」を生んだのである。

喜劇役者は世俗のなかにあって反世俗の世界を持たなければならない。チャップリンも、「 I stand alone 」と言っている。自伝を読むと、志ん生の「放埒な生活」も彼の反俗的な性格から来ており、彼のコクのある芸はこの性格がもたらしたものなのである。