甘口辛口

雉も鳴かずば撃たれまい

2008/3/21(金) 午前 10:37

(法廷スケッチ)

<雉も鳴かずば撃たれまい>

交尾期に入った雉は、けたたましく鳴き立てるので、猟師にすぐにその所在を探し当てられて撃たれてしまう──こうした事実から、<雉も鳴かずば撃たれまい>というコトワザが生まれたのだが、ロス疑惑が起きたときに私が思い出したのは、この言葉であった。

三浦和義は、あんなに派手に「悲劇の夫」を演じなければ、週刊誌が事件を取り上げることもなかったのである。だが、彼はじっとしていることが出来なかった。少年時代に、あちこちに放火して回るだけでなく、火をつけた後で消防署に通報して表彰されたように、ロスでの事件の後でも彼は一芝居打たずにはいられなかったのだ。

秋田の畠山鈴香も、三浦和義と同じ演出をしているように見える。
娘の彩香は、最初、事故死として扱われたから、母親の鈴香が疑われることはなかった。彼女が静かにしていたら、事件はそのまま忘れ去られたのである。ところが、彩香を可愛がっていた祖母(畠山鈴香の母)が、あれは事故ではない、誰かに殺されたのだと言い出すと、鈴香も狂ったように動き始めるのだ。

彼女は彩香の死を「水死事故」として処理した警察署に日参して、娘は殺されたのだから犯人を探してくれと訴える。それが聞き入れられないとビラを印刷して自ら犯人の捜査に乗り出し、さらに東京のテレビ局に調査を依頼している。そして畠山鈴香は、これが連続児童殺害事件であることを証明するために、二軒隣りの米山豪憲少年を殺害するということまでやってしまう。

秋田地裁の判決文は、この間の畠山鈴香の心境を次のように説明している。

自分が彩香ちゃんを殺し
たという現実から目を背
けたい、自分の罪責に向
き合いたくないという身
勝手極まりない思いか
ら、自分が彩香ちゃんを
殺害したことを意識しな
い状態に仕向け、彩香ち
やんの死亡への不満など
を豪憲君を殺害すること
で晴らそうとした。

自己中心的で逃避的人格傾向
があり、身勝手な犯行動機
に酌むべき事情はない。

畠山鈴香が大車輪になって犯人捜査を周囲に訴え続けたのは、自らの犯行と向き合うことを避けるためだったという裁判所の判断は、了解できる。ここまではいいのである。鈴香の演技は、三浦和義の演技とは違って、切実な内面的葛藤から生まれたものなのだ。

しかし、畠山鈴香が娘の彩香を愛そうとしても愛し得なかったとか、汗っかきの娘に触れることを嫌っていたとか、普段から娘がいなくなることを望んでいたと裁判所が強調するのは賛成できない。

彼女は娘を嫌っていたのではなく、彼女なりに娘を愛していたのである。鈴香が「自分の罪責に向き合いたくない」と思ったのは、娘を亡き者にした後で自分が娘を愛していたことに気づいたからなのだ。逮捕される以前に、彼女自身もそのことを訪ねてきた記者に語っている。

彩香は人なつっこい娘で、見知らぬ大人に近づいていって、「おじさん、何してるの?」と話しかけたり、自分より小さな子供に声をかけて、一緒に遊んでやっていたという。親から虐待されたり、ネグレクトされたりした女の子が、こんな行動に出るものだろうか。

前にも書いたように、畠山鈴香は自己破産して生活保護を受けている身でありながら、娘のために科学雑誌を定期購読してやっているのだ。(http://www.asahi-net.or.jp/~VS6H-OOND/suzuka.html参照)

畠山鈴香は家の中を片づけられない女であり、料理をはじめ家事全般の嫌いな女だった。彼女は洗濯もしなかったし、たまにしか風呂を沸かさなかったから、彩香は薄汚れた身なりで、しょっちゅう腹を空かせていた。しかし、娘は母を恨んでいなかった。それどころか彩香は、母と二人で食堂に行って母が本を拡げて読み始めたりすると、母のためにコップに水をくんできてやっていたのだ。

この母娘は、それぞれの役割を交換したような生き方をしていたのである。畠山鈴香は発作的に娘を川に突き落としてから、娘が自分を慕い、自分の世話をあれこれとしてくれていたことを思いだした。そして、邪魔者と思っていた娘を、自分も又愛していたことに思い至るのである。

わが手にかけて最愛の娘を亡き者にした畠山鈴香は、この事実を頭の中から抹殺しなければならなかった。尋常な手段では忘れ去ることが出来なかったから、彼女は暴走をはじめたのだ。

彼女は獄中で被害者家族の感情を逆撫でするような手記を書いている。

・・・・・・・豪憲君に対
して後悔とか反省はしてい
るけれども悪い事をした
罪悪感というものが彩香に
比べてほとんど無いのです。

御両親にしても何でそんな
に怒っているのか判らない。
まだ2人も子供がいるじや
ない。

畠山鈴香は、娘の彩香を殺したことには罪悪感を持っているが、豪憲君殺害についてはほとんど罪の意識を持っていないと公言する。これは偽らざる彼女の実感だったにちがいない。彼女は娘の死後に、最愛のものを失ったという絶望感に襲われた。痛恨の念があまりにも強すぎて目がくらんだようになっていたから、豪憲君のことを考える余裕がなかった。問題は、娘を失った絶望が大きすぎた為に、豪憲君への感情が「ほとんど無い」までに軽く感じられたという「比較上の問題」だったのだ。

その畠山鈴香が、判決を言い渡されたあとで豪憲君の両親に土下座して詫びたのはなぜだろうか。

彼女は、手記にもある通り、半ば死刑判決が出ると思っていた。死刑判決が出たら、豪憲君に対して犯した罪は皆済される。自分の死と豪憲君の死がフィフティーフィフティーになると考えていたのである。

ところが、判決は無期懲役だった。自分が生き残ることになれば、両親に自分の罪を詫びなければならない。死刑を免れた喜びも加わって、彼女は土下座したのである。

判決が出た後のテレビを見ていたら、ある番組で出席者たちが揃って畠山鈴香は死刑にすべきだと言っていた。私は賛成できなかった。