甘口辛口

ジャパネスクな風景

2009/6/19(金) 午後 6:00

  (朝日新聞より:辺見庸)


<ジャパネスクな風景>


朝日新聞のオピニオン欄に、「犬と日常と絞首刑」という寄稿文が載っていた。筆者は作家の辺見庸である。

彼は家の中で飼い犬の糞を片付けていたのだった。そのときに、TVが報じるニュースを聞いて丸太ん棒で殴られたようなショックを受け、このエッセーを書き始めたのだ。そのニュースとは、三人の死刑囚が処刑されたというものだった。

現在、死刑廃止は世界の世論になっている。EU(欧州連合)の加盟国はすべて死刑を廃止していて、死刑廃止はEU加盟の条件にもなっている。アメリカでは一部の州で死刑制度を残しているが、それらの州では死刑執行の状況を関係者に公開しているらしい。米国の映画を見ると、死刑囚の家族、被害者の家族、双方の弁護士などが見守る中で、電気椅子あるいは注射による刑が執行されている。

だが、日本は死刑を廃止するように国連の人権委から勧告されながら死刑制度を廃止していない。しかも死刑は国民の目に触れないように、秘密裏に執行されているのである。辺見庸は書く。

<         日本における死刑の
 執行計画、刑場のありさま、絞首刑の手
 順、死刑囚の〃人選″、それらの法的根
 拠は、いまだにほとんど開示されてはい
 ない。まして死刑執行状況の可視化など
 もってのほかである。が、死刑はだれか
 によって周到に政治的タイミングが選ば
 れ、いわばひそかに”演出″されている。>

日本人にとっては日常的な光景でも、外人の目には奇異に映る風俗・習慣・文化を「ジャパネスク(日本風)」というのだそうである。現行の日本の死刑制度も、ジャパネスクな文化の一つだと、辺見は言う。

もう一つ、辺見がジャパネスクな文化と呼ぶものがある。天皇制である。

<日本における死刑制度のありよう
 は、その秘密主義、その隠微、その曖
 昧、その多義性、その非論理性において
 まことに独特である。それはなぜかこと
 なる磁極のように天皇制ともどこかで微
 妙に引きあい、すでに文化や思想、社会
 心理の基層部にまでなごやかに融けこん
 でいるのであり、死刑廃止はしたがって
 自己像の解体にひとしいぼどむつかしい
 だろうと私は内心おもっている。>

天皇制も又、ジャパネスクな文化であることに疑いはない。外人は、僅か数人の家族が首都の広大な超一等地を独占し、数百人の公務員にかしずかれて生活している光景を見れば、そのアナクロニズムに驚くに違いない。そして天皇家の実生活も秘密のベールに包まれ、国民は宮内庁が下げ渡してくれる僅かな情報を通して、その実情を想像するしかない状態に置かれている。

辺見庸は、死刑制度と天皇制は二つの磁極のように引き合っているという。戦前の日本国民は、天皇制と死刑制度のはざまで右傾化し、無謀な戦争に突き進んでいったのである。まず天皇は現人神(生きている神)として極度に神聖化された。そして、この天皇に危害を加えようとするものは、容赦なく死刑にされた。こうした二極の間で、国民は自己規制して天皇に忠誠を誓い、「国体護持」のために献身したのだ。

1923年に難波大助という青年が、皇太子時代の昭和天皇をステッキ銃で狙撃するという事件が起きた。皇太子に被害はなかったが、犯人の難波は死刑になり、この事件に責任があると見られる関係者は、次々に自己規制して自身に厳罰を加えていった。

まず衆議院議員だった難波大助の父は、自宅の門扉を内側から閉じて世間との交渉を断ち、飲まず食わずの生活に入って半年後に餓死している。当時の内閣総理大臣山本権兵衛は即刻辞表を提出した。また、当日の警護責任を取り、警視総監湯浅倉平と警視庁警務部長の正力松太郎は懲戒免官になった。難波の出身地であった山口県の県知事に対して2ヶ月間の2割減俸、また、難波の郷里の全ての村々は正月行事を取り止めて謹慎し、難波が卒業した小学校の校長と担任は教育責任を取り辞職した。

天皇制と死刑制度のはざまで、こんなふうに自己規制を続けているうちに、日本人の意識は狭小化し、その思考は世界をとらえるところまで広がらず、セケンという閉域内に留まることになってしまった。

<               間題を
 過度に詰めない、議論しない、想像しな
 い、はやくわすれる、ことあげしないほ
 うが、おのれの内面にも世間にも波風た
 てずにすむことを、じつはこの国のみん
 なが暗黙のうちに弁別している。そうい
 ったある種ジャパネスクなたちいふるま      
 いこそ、私たちの日常に滑らかな譜調と
 無意識のすさみをもたらしているのでは
 ないか(辺見庸)。>

戦前の日本人を家畜化した死刑制度と天皇制という二つの磁極は、戦後になってもまだ残っている。そして、日本人の思考から世界性を喪失させ、今も変わらぬジャパネスクの枠内に閉じこめている。辺見庸のエッセーは、その点を鋭く指摘しているのである。