甘口辛口

ブッダは、女嫌いだったか

2010/2/26(金) 午後 8:24

ブッダは、本当に女嫌いだったか


幻冬舎の刊行する本は、これまで一冊も読んだことはなかったが、今回、「ブッダはなぜ女嫌いになったのか」という新書と、「葬式は、要らない」という新書の二冊を購入した。両書とも、題名がいかにも面白そうなので、何時ものことながら野次馬根性から一読する気になったのである。

まず、「ブッダはなぜ女嫌いになったのか」について。

私も少しばかり、仏陀の生涯に関連した本を読んでいるけれども、彼が女嫌いだという印象を受けたことはない。だから、著者が仏陀を女嫌いだったと断定しているとしたら、その根拠が何であるか知りたいと思ったのだ。

だが、著者は新しい資料を発掘してきて、それに基づいて自説を展開しているのではなかった。すでに明らかになっている仏陀に関する伝承を素材にして、大胆な解釈を施しているのだった。

仏陀の父親は、息子が出生と同時に母と死別し、そしてまた、生来、体が虚弱だったことを哀れんで、佛陀のために冬の宮殿、夏の宮殿、雨季の宮殿という三つの宮殿を作ってやっている。伝承によれば、この三つの宮殿には、四万人の舞姫と女だけの伎樂団が詰めていて、朝夕仏陀に奉仕していたというから、彼は幼いときから女の世界で生きていたのである。

仏陀は、16歳でヤショーダラという妻を迎えている。そのヤショーダラには、第一王妃という肩書きがついている。とすれば、仏陀は彼女以外に、何人かの妻や愛妾を持っていたことになる。彼は、子供の頃から、「女地獄」の中で生きていたのだ。こんな伝承もある。

彼は、女たちと共に夜更けまで歓楽を尽くし、疲労のあまり広間で寝込んでしまったことがある。目覚めてみると、まわりには女たちがやはり雑魚寝の状態で眠りこけている。起きているときには、あれほど美しく魅力にあふれていた女たちが、寝込んでいるところを見ると、ぶざまで見るに堪えなかった。仏陀は、嫌悪感を押さえきれなくなって、王宮を飛び出してしまう(これは、佛陀に関する説話ではなく、弟子の一人に関する説話だともいわれる)。

仏陀の女嫌いが、こうした体験の延長線上にあるものとして描かれていたら、著者の見解も説得力を持ち得たかもしれない。だが、著者は、意外な仮説を持ち出して自説を論証しようとするのだ。仏陀は、義母を愛していたため、妻のヤショーダラが嫉妬し、その嫉妬に狂う妻を見て仏陀は女性一般を嫌うようになった、というのである。

仏陀の生母マヤは、隣国の王女だったが、仏陀を出産してから直ぐ死去している。妻を失った仏陀の父スットダナは、亡妻マヤの妹をめとって妻にした。佛陀は、義母という立場になった伯母に育てられることになったが、著者によると、この義母はやがて甥である佛陀を男として愛するようになり、仏陀もまた義母を女として愛するようになったというのだ。

著者にこの着想を与えたのが「源氏物語」であることを、著者自身が語っている。

「藤壷は、光源氏が三歳の頃に病死した実母、桐壷更衣に似ていることから新しい妃として帝に迎えられるのだが、光源氏とは五歳しか年齢が離れていなかった。そして、この年上の義母との間に光源氏は不義の皇子をなしている。源氏十八、九歳のことだ。罪の意識におののく藤壷は帝亡きあと、必死に引き止める源氏を振り切り、出家している(「ブッダはなぜ女嫌いになったのか」)」

しかし仏陀を光源氏になぞらえただけでは、説得力がないから、著者は仏陀が王宮を脱出した時の義母の激しい嘆き方を持ち出して、義理の息子への彼女の愛を論証するのだ。脱出前後の事情は次のようなものだったらしい。

義母に育てられているうちに、仏陀の立場は微妙なものになってきた。義母が間もなくナンダという男の子を産んだため、仏陀と腹違いの弟ナンダの間に王位継承争いという問題が絡んできたのだ。

仏陀と妻ヤショーダラの間になかなか子供が産まれず、二人の間にようやくラゴラという長男が生まれたときには、彼は29才になっていた。待ち望んでいた男子出生を祝って祝賀会が開かれたその夜、仏陀は城を出て出家してしまうのである。

彼はこの夜、あらかじめ後門に用意させて置いた馬にまたがって王宮を脱出し、夜が明けて、王宮から十分に離れた森林地帯まで来たとき、馬の轡をとっていた従者のチャンナに別れを告げた。チャンナは必死になって、思い止まるように懇願した。

この時、佛陀は答えるのである。

「お前は、家族のために思い止まれという。しかし家族といっても、一夜を同じ木の枝で過ごす鳥たちのようなものではないか。夜が明ければ、皆、思い思いの方向に散っていってしまうのだ。お前は王宮に帰って皆に告げるがよい。私を追っても無駄だ、と」

そのあと彼は一言もいわず、両手で木の枝を押し分けて暗い森の中に入っていった。それっきり、彼の消息は絶えてしまうのだ。

著者は、佛陀に去られた義母の悲嘆をこんな風に表現している。

「このとき彼女の見せた度外れた狂乱ぶりを、馬鳴の描く仏伝『ブツダチャリタ』に見てみよう。・・・・ここに示されるマハーバジャーパティー(義母)のシツダッタ(仏陀)への並外れた愛は、妻ヤショーダラーとの対比においても興味深いものがあり、詩人の鋭い洞察が含まれているように思う。

 すなわち、マハーバジャーパティーのひたすらな愛情深さに対し、ヤショーダラーは愛の裏返しとしての嫉妬と憤怒に塗り込められるのだ。・・・・王子が家を出たのは、二十九歳とされる。従者と馬とが、空の鞍とともに都カピラヴァストウに戻ってきたとき、マハーバジャーパティーは身を大地になげうち、傷だらけに壊れ、狂ったように号泣、悲嘆した(「ブッダはなぜ女嫌いになったのか」)」

義母は嘆き悲しんだ末に、悶絶してしまったという。

著者は、さらにこんな挿話も忘れずに付け加える。6年間の修行の後に、弟子たちを引き連れてカピラ城に帰郷した仏陀を、義母は驚喜して迎える。そして、義理の息子への愛を示すために手織りの衣をプレゼントしようと考え、綿を自らの手で砕き、打ち、糸にして一揃いの衣に仕立て上げる。そして、愛する仏陀に告げる。

「これは、特にあなたのためにわたくしが自分で紡ぎ、自分で織ったものです。どうぞ受け取ってください」

すると仏陀は冷静な表情で、「どうかサンガ(教団)に布施して下さい。あなたがサンガに布施をすれば、私も供養を受けるし、サンガもまた同様です」と応えるのだ。自分はすでに教団の人間であるから、服などは教団に寄付してくれれば有り難いと、義母の熱い想いをやんわりと押し返したのだ。

だが、それで義母の気持ちが萎えるようなことはなかった。彼女は夫の死後、尼僧となって仏陀の身辺から離れず、やがて仏陀の死が迫まると、佛陀に一歩先んじて亡くなったといわれている。

義母は、いまわの際まで仏陀に対する愛慕の情を抱き続けたが、夫に対するヤショーダラの気持ちの方は憎しみで煮えたぎっていた。仏陀の出奔を知って義母は悲しみのあまり悶絶したが、妻のヤショーダラは憤怒のあまり卒倒するのだ。

妃は夫を罵るのである。

「伴侶と共に生きるべき男が、妻を捨て独り苦行に打ち込んだからといって、賞賛されるべきことだろうか。そんな男は、いくら修行を積んでも自己満足でしかないのだ」

妃の怒りの台詞は、火のように激しかった。夫の馬をひいて、独り宮殿に戻った従者チャンナに向かっても、「この下劣な悪党め」と怒りの言葉を浴びせかけている。

ヤショーダラは、息子のラゴラを王位継承者にしたかったから、仏陀が帰省した折、城に到着する前日にラゴラを父に会いに行かせた。そして、佛陀に会ったら、「お父様のものを私に受け取らせて下さい」と頼むように言い含めた。王位の継承権は長男である佛陀にあって、腹違いの弟ナンダにはないのだから、明日、城に来たらラゴラに王位継承権があることを佛陀の口から宣言してほしいと要求したのである。

佛陀の反応は、厳しいものだった。彼は城に入る予定を取りやめ、ラゴラをつれて修行の場に引き上げ、そこで息子を出家させてしまうのだ。

聡明な佛陀は、女の群れの中で暮らして、嫉妬に狂った女がどういう行動に出るか知り抜いていた。妻が嫉妬から愚かしい行動に走ったとすれば(佛陀の不在中に彼女は不倫を働いていたともいわれる)、その責任はほかならぬ佛陀自身と義母の側にもある。著者がもし、嫉妬に狂った妻、王位に執着する妻を見て、女嫌いになったと本当に考えているとしたら、それは些か佛陀の心事を小さく考えすぎていはしないか。

私はこの本を面白く読んだけれども、著者が、「腰巻き広告」で謳っているように、

超マザコン
自己チュー
一族根絶の非常男
   それがブッタ!

という視点を更に徹底させ、佛陀の自己チューぶりを完膚無きまでに描いたら、もっと面白い本になったのではなかろうか。