甘口辛口

アキハバラ事件犯人の母(4)

2011/12/25(日) 午後 6:53
アキハバラ事件犯人の母(4)

自殺に失敗した智大は、その足で実家に向かった。彼が家に戻るのは3年ぶりのことだった。母親は、智大から電話でいきなり、「自殺する」と告げられ、居ても立ってもいられない気持ちになっていたところだったから、智大の顔を見ると、思わず相手を抱きしめた。智大は、物心ついてから母に抱きしめられたことなど一度もなかった。その母が、彼を抱きしめながら、「ごめんね」「よく帰ってきたね」とささやいている。

母はこれまでの智大への態度について謝罪してから、クルマの修理代やレッカー代など、すべてを支払ってくれた。それだけでなく、当分は家にいて、ゆっくり休んだらどうかと優しく勧めてくれた。

母が子供に謝罪したのは智大に対してばかりではない。一年ほど前には、弟に対しても「お前たちがこうなったのも私のせいだ」と謝罪している。母は数年前から、自らの行動を反省しはじめていた。長男が職を転々として落ち着かないのも、次男が高校を早々に中退して、引きこもりの生活を続けているのも、すべて自分が悪かったからだ。優秀な兄弟として近所でも評判だった二人をスポイルしたのは、母親であるこの自分だったのだ。

子供たちだけではなかった。仙台に転勤した夫も家に寄りつかず、早晩、離婚することになるだろうと彼女は覚悟していた。今や彼女は、一種の完全主義から、家族を思うままに支配し、抑圧してきたツケを払わされているのだった。

弟は母親に謝罪されて、初めて母の本当の姿を見たような気がした。彼は、このときのことを「母との邂逅」と表現している。強面で家族に臨む母の、その居丈高な態度の背後には、自分の非を素直に認める誠実さや、子供たちに対する優しい思いやりが隠れていたのだ。

母親の行動が、単なるヒステリーや自己中心的な支配欲から来るものだったら、自分の責任を認めることもないし、まして子供たちに謝罪するようなことはない。智大も母の善き反面を感じ取っていたから、掲示板に、《考えてみりや納得だよな。親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完壁。小学生なら顔以外の要素でモテたんだよね。俺の力じゃないけど。》というようなことを書き込みながら、法廷では思わず、母への愛を漏らしてしまったのである。

母親が食事に時間のかかる智大に苛立って、彼の食べかけの食物を奪い取りチラシの上にぶちまけたのも、智大が食べ終わるのを待っていたら食器を洗うのが遅れてしまうからだった。食後ただちに食器洗いを完了しようとしたのは、その後で心おきなく子供らの勉強を見てやるためだった。彼女は家事を完璧にこなした上で、学習の指導者・監督者としても完全であろうとしたのだ。智大が母を憎むことをしなかったのは、その辺の事情を感じ取っていたからだった。

「加藤智大は多くの人を殺したが、それ以前に彼は母親によって殺されていた」という批評もある。フロイト風に解釈すれば、智大の母に対する感情は愛憎相半ばしていたため、母に向けられていた攻撃的エネルギーを行動化することが出来ず、その攻撃欲は反転して自分に向けられて自殺未遂となり、社会に向けられて無差別殺人になったということになる。が、これらの意見は短絡的過ぎるように思われるのだ。

智大は母の勧めに従い、青森市でトラック運転手をしながら実家で暮らしはじめたが、やさしくなった母親との同居生活に次第に息苦しさを感じるようになった。故郷に残っている昔の仲間との交友も、負担に感じられはじめた。一斉送信した自殺予告のメールを受け取った仲間たちは、智大を慰めるために飲み会を開いてくれたけれども、出席者は揃って智大の自殺未遂に触れないようにしていたから、会合は妙に他人行儀なぎごちないものになってしまった。

智大は母とも、地元の友人たちとも別れ、再び故郷を捨てて孤独な旅に出る。派遣社員として静岡県裾野市の関東自動車工業東富士工場で働き始めるのだ。中島岳志は、智大が無差別殺人に走った理由を次のように説明している。

<家族が崩壊し、故郷を捨て、地元の仲間との連絡を絶った加藤にとって、リアルな現実での「帰る場所」はもうなかった。青森に帰ると、借金取りが待っている。アパートも放置したままになっている。就職も厳しい。実家に帰ることもできない。以前とは状況が異なっていた(「秋葉原事件」中島岳志)>

中島岳志によると、現実社会で「帰る場所」を失った智大は、携帯サイトの掲示板を自分の生きる場とするしかなくなった。その掲示板を荒らすものが現れたので、智大は荒らしを行った者たちに反省を求める為、無差別殺人の挙に出たというのである。

<彼は、事件を起こした動機を「掲示板でのなりすましや荒らしを行う人へのアピール」をするためだという。「自分が自分に帰れる場所」「大切な居場所」と考えていた掲示板。そこに自分のニセ者が現れ、大切なネット上の人間関係を荒らしていく。彼らにそのような行為をやめるよう警告しても、聞き入れようとしない。掲示板の管理人も書き込み禁止の措置をとってくれない。それがどうしても許せなかったのだという。彼は、事件を起こすことで「本当にやめてほしかったことが伝わると思っ」たという(「秋葉原事件」中島岳志)>

一般に、携帯サイトやブログなどに書き込みをするのは、趣味・嗜好からだが、中には真剣な気持ちで書き込みをしているものもある。そういう人々は自分の書くものをたいていの「読者」は面白半分に読んでいるであろうが、少数ではあっても上質の読み手も混じっているはずだと考え、その仮想の読者に読んで貰うために真面目になってキーボードを叩いている。

智大は携帯サイトに本音を書いていた。彼はその切実な本音を受け止めてくれる誠実な「読者」が必ずいると信じ、その者のために余暇があればせっせと書き込みをしていたのだった。ところが、読者の中には智大になりすまして、勝手な書き込みをするものやら、不埒なコメントをつけて彼をあざ笑う者が出現し始めた。

こんなことが続けば、上質な読み手が自分のサイトから立ち去って行く恐れがある。智大は考え得るあらゆる手段を用いて、自分になりすます不届き者を排除しようとしたが成功しなかった。それで無差別殺人という途方もない手段で、彼らに警告を発することにしたのだった。

彼はこれまで、派遣社員を差別する正社員に抗議する方法として、ある日、突然出社を止めるというようなことをしてきた。そうすれば正社員が反省するはずだという勝手な思いこみからこうした行動に出たのだが、この抗議の方法は自分の職場を失うという結果をもたらす点で自殺的なものだった。携帯サイトの荒らしを止めさせるために、無差別殺人を行えば、処刑されるという結果がついてくる。これ以上自殺的な行動はないのである。

智大のこうした行動は、母親の完全主義を想起させる。智大の母は、子供たちを人生の勝者にしようとして学習を強いた。その指導法が完全主義を思わせるほど徹底していたために、息子二人を精神的に殺してしまうことになった。智大の場合は、相手を反省させるために、自身を失職させたり処刑囚の立場に追い込んだりするほど徹底した方法を採用している。

YouTubeには、事件後に謝罪する智大の両親の映像が採録されていた。父親が集まってきたマスコミ相手に謝罪の言葉を述べているうちに、母親は地面に崩折れてしまっていた。哀れだった。