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雅子妃と紀子妃の確執

2012/5/19(土) 午後 9:09
雅子妃と紀子妃の確執


「週刊新潮」の最新号に、雅子妃と紀子妃が不仲なので美智子皇后が嘆いているという記事が載っていた。
その特集記事の題名は、こうなっている。

  「美智子皇后が嘆いた雅子妃の紀子妃妨害」

題名だけを見ると、雅子妃が悪役、紀子妃が受難者になっている。心を病んでいるとされる雅子妃に、タフな紀子妃を妨害するほどのエネルギーがあるだろうかと、いぶかりながら記事を読んでみると、直ぐに雅子妃が悪役にされている理由が分かった。この特集は紀子妃側の関係者から流された情報をもとに、紀子妃を擁護する立場から書かれているのだった。

事件そのものは、「妨害」と騒ぎ立てるほどのものではない。

天皇が心臓のバイパス手術を済ませた後、真っ先に、「お見舞いに伺いたい」と病院関係者に申し入れたのは紀子妃だった。こういう時の紀子妃の行動は、何時でも神速をきわめている。彼女は秋篠宮との婚約が整うや否や、すぐさま宮内庁から、皇后出御の際の映画を借り出している。自分が外出したとき、群衆にどう「お手振り」したらいいか、知りたかったのである。

紀子妃が勢い込んで病院に出かけようとしていたら、雅子妃が、

「順序が違うのではありませんか」

と言っているという話が伝わってきた。注意してほしいのは、雅子妃が直接、「順序が違う」と紀子妃に抗議したのではなく、紀子妃側は伝聞で雅子妃がそういっていると聞かされただけなのだ。この件には、何となく腑に落ちないところがある。雅子妃は本当に、「順序が違う」といったのか、そしてこの話がどういう筋道を経て紀子妃側に流れてきたのか、そのへんがハッキリしないのである。

紀子妃は、天皇への見舞いを取りやめた。「週刊新潮」によれば、このいきさつを知った美智子皇后は、「大いにお嘆きの様子」で、天皇への見舞いを二人の妃ではなく、皇太子と秋篠宮の二人で行うように取り決めて事態の収束をはかったという。

「週刊新潮」の特集記事は、徹頭徹尾、紀子妃側に立って書かれている。こうした傾向は、「週刊新潮」だけでなく、その他の雑誌や週刊誌にも共通している。ただし、新聞などが掲載する女性週刊誌の広告を見る限り、女性誌は一方的に雅子妃を攻撃するようなことはなく、雅子妃に同情的な記事も書いているようだ。

「週刊新潮」は、予算配分の件でも、秋篠宮家の立場を代弁をしている。皇太子は天皇と共用で、年に3億2400万円のお手元金を得ているのに、秋篠宮の分は6100万円にすぎず、職員数も皇太子には70人近く与えられているけれども、秋篠宮には僅か16人だけだというのだ。

こういう秋篠宮家を実質的に取り仕切っているのは、紀子妃だという。彼女は秋篠宮家の出席行事の一つ一つについて資料を集め、宮家運営に関する一切の企画立案に当たっているらしい。

また、週刊誌には、こんなことも書いてあった。

各宮家は、住宅の補修費などを宮務課に申請して獲得bしている。その際、宮家の間で資金の奪い合いになることが多いが、結局、秋篠宮家に先んじられてしまうというのである。それで、宮内庁内では「さすがに紀子妃は、交渉がお上手だ」と囁かれているという。

紀子妃の下には女官たちが居着かず、相次いで転勤を希望しているといわれているのも、妃があまりにも敏腕家であるからだろう。秋篠宮家に味方するマスコミが多いのも、紀子妃の手腕によるところが多いかもしれない。

雅子妃と紀子妃の仲がしっくり行っていないとしたら、彼女らが閑だからだ。一般の主婦が日常的に行っている家事を、宮内庁から派遣されている国家公務員がすべて処理してくれるとしたら、「妃殿下」たちが暇をもてあまし、互いの行動に目を光らせることになるのもやむを得ないだろう。

イギリスの王族は、それぞれ公務についたり、慈善活動に打ち込んだりして、意味のある生活をしている。私は、日本の皇族にトーマス・マンの「大公殿下」を読むことを勧めたいのだ。

この小説の主人公は、ヨーロッパのある小国の皇太子で、アメリカの実業家の娘と恋仲になる。皇太子を婿にすることになった実業家は、アメリカ人らしい率直さで、皇太子に尋ねるのである。あなたは、大きな工事が完成すると、そこに出かけていってテープを切ったり、国家的集会の席上で開会の挨拶をしたりして毎日を過ごしている。そんな日々を送っていることを空しいとは思わないか、と。

すると、皇太子は答えるのである。国民は、私が現地に出かけていって、テープを切ったり、挨拶したりすると喜ぶのです。国民を喜ばすことが、王室に生まれた人間の義務ではないですか。

実業家は、いうのだ。あなたは、自分をだましている。そんな形骸でしかない行為を繰り返して、国民と自分をだまし続けないで、もっと実質的な生き方をなさい、と。

皇太子は、国家財政の仕組みや法律などについて真剣に勉強を始める。そして、真に国民のために生きるようになって、はじめて充実感をもって生きることが出来るようになるのだ・・・・・。

「大公殿下」は、現代のお伽噺かもしれない。が、王族・皇族にとって学ぶところの多い作品と思われる。