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横綱大鵬の晩年(2)

2013/2/1(金) 午後 0:13
大鵬の晩年(2)

大鵬の葬儀の様子をテレビで見ながら、自然に大鵬の遺族に目をこらしていた。週刊誌で彼女らのスキャンダルに関する記事を読んでいたからだ。そして、思わず目を見張るような思いをしたのは、大鵬の娘たちが大柄で色白で、父親によく似た顔立ちをしていることだった。

そして今日の新聞を読んでいて、また、驚いたのは、大鵬の孫たちがまだ中学生・小学生なのに大人も顔負けの大柄な体をしていて、将来、力士を目指しているということだった。

  幸林クン(中3) 180センチ 130キロ

  幸之介クン(中1) 180センチ 135キロ

  幸成クン(小5) 160センチ 83キロ

大鵬一族に関するマスコミ報道やテレビ映像やらに接していると、自然に頭に浮かんでくるのが双子山親方の一族のことなのだ。双子山親方(元貴ノ花)の妻藤田憲子も大鵬親方の妻と同様に不倫疑惑でマスコミに叩かれ、結局、親方とは離婚している。

大鵬も貴ノ花も現役の頃は一世を風靡する人気者だったから、引退して親方になってから本人だけでなく、部屋を切り回す「おかみさん」も、また注目の的になった。だから、藤田憲子が彼女よりも年少の医師と親しくなると、マスコミがこの件にわっとばかりに飛びついたのである。

妻に関するマスコミ報道を信じた双子山親方は、家の中などで妻とすれ違うときなど、いかにも汚らわしいといわんばかりに自身の体を手でぱっぱと払って、よごれた塵を取り除くというような仕草をして見せたという。親方夫婦が互いを憎みあうようになったために、藤田憲子の表現によれば「世界一幸福な家族」は瓦解し、親方死後も母と子、兄と弟は互いを非難しあうようになった。

これに比べると、大鵬親方は週刊誌が妻の行状について何を書こうが黙殺していた。妻が弟子に出したラブレター(?)なるものが週刊誌に掲載されても、問題にしなかった。こうした寛大さは、彼の生い立ちによることが大きいと思われる。

大鵬の父親は、ロシア革命を逃れて樺太に亡命してきたコサック騎兵将校で、大鵬はその三男だった。太平洋戦争の末期に、日本人の母は、三人の子供をつれて北海道に移り、母はここで日本人と再婚している。だが、ほどなく離婚、以後、母子は互いに助け合って敗戦後の日本を生き延びて行くことになる。大鵬は子供の頃から、納豆を売り歩いて、家計を助けたといわれる。

ロシア人とのハーフという理由で冷遇されてきた大鵬は、恵まれた階層に対する対抗意識を密かに育てていた。彼は巨人軍について、金でいい選手を集めたら強くなるのは当然だと語っているし、相撲協会内部でも主流派に距離を置き、慣例を無視して理事選挙に立候補した貴乃花を擁護していた。彼が朝青龍の相談相手になり、露鵬をあくまで守ろうとしたのも、孤立している後輩を放っておけなかったからだった。

大鵬は内に秘めた反逆精神から、朝青龍・露鵬・貴闘力などの力士を庇護してきたが、結局、彼らからは裏切られている。裏切られても動じることなく平然としていたのは、内面に牢固とした自信があったからだろう。大鵬は土俵上におけると同じように、人生においても横綱相撲を取りつづけていたのである。