甘口辛口

老年志向型人間(1)

2013/9/18(水) 午前 9:36
老年志向型人間

以前にも書いたことがあるけれども、私は長い間、森博嗣という作家がいることを知らないでいた。それが、新刊書紹介の新聞記事を読んでやっと彼の名前を知り、そこで紹介されていた彼の本を読んだことで、彼のファンになってしまったのである。

彼の本を読んだ私が、いかに森博嗣という作家に引き込まれたかは、その直後にインターネット古書店を通して既刊の彼の著書を一度に十何冊か注文しただけでなく、彼が影響を受けたと語っている女性漫画家荻尾望都のマンガ本まで購入したことで分かるだろう。

しかし私は、続々と自宅に郵送されてくる森博嗣の本も荻尾望都の本も、読むことなく終わった。私が衝撃を受けたのは、最初に読んだ森博嗣著「相田家のグッドバイ」だけであり、しかも衝撃を受けた理由というのが至極自分勝手なものだったからだ。私は、この本に描かれている森博嗣の父親と自分がシャム兄弟のように似ていると勝手に思いこみ、その父親と相通じる人柄を持っているらしい息子にも同志的感情を抱いて、森博嗣の書いたものなら何でも読みたくなったのであった。

私は何故森博嗣の父親が自分とシャム兄弟のように似ていると思いこんだのだろうか。「相田家のグッドバイ」から、私がそのように感じた部分をいくつか抜き出してみる。

森博嗣の父は、息子の博嗣に向かって、「自分は五十歳までは生きられない」とよく話していたという。博嗣は、父がどういう理由でそんなことを言うのか分からなかったと書いている。私もよく理由が分からないままに、40才になった頃から自分は60過ぎまでは生きられないと思いこんでいたのである。

だが、50歳まで生きられないと考えていた博嗣の父は、80過ぎまで生きていたし、60歳までに死ぬと信じていた私も米寿を過ぎてまだ生きている。博嗣父と私は、まず、その辺からよく似ているのである。

それから、博嗣父と私は冠婚葬祭に対する考え方も酷似していた。博嗣父は妻が死んだとき病院にいたが、後から息子の博嗣が病院に駆けつけてくると冷静な態度で、こう命じている。

<秋雄(博嗣父)は、紀彦(森博嗣)が病院へ到着すると、すぐに葬式の手配をしてくれと言った。坊主に頼むのは嫌だから、宗教に関係のないところにしてほしい、戒名はいらない、と注文した。まだ、母が死んだ直後のことだったが、いかにも冷静な父らしい指示だった。
紀彦は、急に言われても、どうして良いものか見当もつかなかったが、すぐにネットで検索をして、全国チェーンの葬儀屋に連絡をした。相手は慣れたもので、どこの病院かと尋ねた。すぐにお迎えに参ります、と応対した(「相田家のグッドバイ」)>

博嗣父は、普段から自分は墓に入るつもりはない、そんな無駄なことは絶対にするな、と息子に話していた。

<死んでしまったものはどうしたって同じこと。体は抜け殻でしかない。焼いて灰になって、それで一巻の終わりである。霊魂だの怨念だの、そんなものがあろうはずもない。秋雄はそういったことに対しては、さっぱりと割り切れる方だった。この年代では珍しいだろう、もっとも秋雄にしてみれば、どう考えても理屈に合わない、というだけの話だ>

博嗣父は又、無葬儀主義者だった。彼はこう考えていた。

<葬式というものは、いかにも面倒なものだ。どうしてこんな無駄なことに時間と大金を費やさなければならないのか、本当に馬鹿馬鹿しいかぎりだ、という気持ちが秋雄にはあった>

建設業をしてある程度の資産を蓄えていた博嗣父と、大学助教授のかたわら作家をしている森博嗣は、互いに近くに住んでいながら同居せず、別々の家に住んでいた。妻と死別してからも、博嗣父は息子一家と同居することを欲しないで、一人暮らしを続けていたのだ。

森博嗣が時々、様子を見るために父の家に行ってみると、博嗣父は何時でもリビングの真ん中にお気に入りの肘掛け椅子を据え、そこに座って一人でテレビを見たりラジオを聞いていた。ある日のこと、父を訪ねた森博嗣は、こう書いている。

<秋雄は薄暗いリビングで椅子に座っている。うたた寝をしていたようだった。寝間着のままで、ガウンだけを羽織っていた。
 幾度かそういうことが重なり、問い質してみると、着替えをしていないという。それどころか、布団で寝ていない、夜もこの椅子に座ったまま寝ているのだ、と話した。一度横になってしまうと、トイレのために起き上がるのが大変で、椅子に座って寝ていれば、その必要がなく楽だという理由だった。では、風呂はどうしているのですか、ときくと、ときどきシャワーを浴びている、と答えた>

博嗣父は、基本的に個人主義だから、友達や話し相手が欲しいというような要望は一切持っていなかった。むしろその反対で、一人にしておいてもらいたい、自分の部屋に籠もって、テレビを見たり、ラジオを聞いたりできればそれで十分だと考えていた。

博嗣父は愛煙家で、煙草を吸い続けていた。彼は20年以上前から、自分はいつ死んでも良い、と言い続け、既に自分の想定していた人生の時間をとっくに超えているから、今はオマケのようなものだ、と笑つて話していた。
一人暮らしをしていた父親も、だんだん炊事や洗濯が面倒になってきたらしく、適当な老人ホームを探してくれと言い出した。ホームに移った博嗣父は、そこでも自宅にいた頃と同じ流儀で暮らし始めた。個室の真ん中に肘掛け椅子を据え、一日中そこに座ってテレビを見、ラジオを聞いているのである。

<秋雄と話ができたのは、最初の一カ月くらいだった。話といっても、秋雄はほとんどしやべらない。こちらが質問をすれば、領いたり、ああ、とか、いや、といった曖昧な受け答えをする。自分から言葉を発するようなことはない。この点が、紗江子(亡くなった母親)の場合とは大きな違いだった。秋雄には、もうなにも言いたいことなどなかったのである>

こうした博嗣父の老後を、さびしく哀れだと人は思うかもしれない。しかし、この判で押したような単調な明け暮れこそ、老年志向型人間が本領とする生活なのである。

(つづく)