甘口辛口

モーリヤックへの道

2013/11/30(土) 午後 4:15
モーリヤックへの道

今から60年前、28才の私は東京郊外にある結核療養所の外科病棟にいた。肺を摘出する手術を無事に済ませて、退院する日を待っていたのである。手術後の患者の仕事といえば、おとなしくベットに仰臥し、ラジオを聞いたり本を読んだりしながら体力の回復を待つことしかなかった。

その日も、私がいつものように書見器に取り付けた文庫本を読んでいた。すると、半月ほど前に外科病棟に移ってきた山田という20歳をでたばかりの患者が、突然、話しかけてきた。私のベットの脇を通るとき、私が読んでいる文庫本のタイトルに目をとめて、急に話しかける気になったらしかった。彼は、「その本は・・・・」と言いかけて、そのまま黙ってしまった。

私は、相手が本のタイトルに目をとめて、その内容について知りたがっているのではないかと思った。本のタイトルはこうであった。

  「女性への憐憫」(モンテルラン)

私がこの文庫本を買う気になったのは、それが著者の祖国フランスで評判になっているベストセラー本だと知ったからだった。著者モンテルランは第一次世界大戦の影響を強く受けた戦後世代であり、その著書の題名が示すように激しい女性蔑視を特徴とする作品で注目を集めているのだという。

私は「女性への憐憫」を半分ほど読み進んだところだったから、この作品のおおざっぱな感触なら相手に伝えることができた。けれども、山田の顔を見ていると、相手と対話する気が消え失せてしまっていた。彼はおよそ本などを読むタイプの人間ではなかったのだ。体型はガッシリしていて、なかなかの美男子だった。ローマの兵士のような整った顔をして、頬に赤い血の色がさしている。健康優良児をそのまま大きくしたような若者だったのである。

入院前に私立高校で男子生徒を教えていた私の体験からすると、こういう表情をした若者に文学を語ることは犬に微分積分を教えるようなものだった。それで私は、「この本は女性を馬鹿にしたようなことが書いてあってね、それに、何しろ翻訳ものだからなあ、あんたらのような若いもんには面白くも可笑しくもない本だよ」

一応、相手の自尊心を傷つけまいとする配慮を見せたが、私のものの言い方には、(あんたらが読むような本ではないよ)といった調子が露骨に現れていた。案の定、山田は、むっとした顔になって、黙って自分のベットに戻っていった。

しかし、4,5日したら、また山田がやってきたのである。

「あの本、貸してくれないですか」

私がモンテルランの本を読み終わって、別の本を読み始めていることを山田はちゃんと知っていたのである。
「でも、あれは理屈っぽい小説でね・・・・」と私は改めて山田に警告した。すると、彼は苛立たしそうに、「それでも、いいんだ」と怒ったような口調でこちらの言葉をさえぎった。その表情を目にして私はハッと悟ったのである。

この男は、薄っぺらなアプレゲールではない、女性との関係で何か痛苦に満ちた思い出があり、だからこそ「女性への憐憫」という題名に引き付けられたのだ。第一、文学に無縁な若造だったら「憐憫」というような漢語を読むことすら出来ないはずではないか。

そのころの私は、大部屋の中で「聞き上手」な男ということになっていた。ほかにも高校教師をしている患者が一人いたが、この方は人間的にこちらより遙かに優れた男だった。だが、それ故に彼のところには限られた若者しか近寄ろうとしなかった。若い患者たちは崩れた感じのする私と話す方を好んでいたのだ。

私は山田にモンテルランの本を貸してやり、それを返しに来たら彼から打ち明け話を聞き出してやろうと思っていた。私は彼が年上の人妻と関係して痛い目にあったのではないかと、見当をつけていたのである。

──山田は、やがて順番がきて肺の摘出手術をすることになる。私も退院して信州の実家に帰ることになった。この時期に他にもいろいろなことがあって、今では山田に貸してやった本が戻ってきたかどうかも思い出せないようになっている。山田が手術に成功したかどうか、その後、彼がどうなったかも分からないままだ。

私は山田と別れてから60年の間、彼のことをすっかり忘れてしまっていた。この文の中で彼を「山田」と記してきたが、その本名を思い出すことができない。では、どうして今頃になって彼のことを、急に思い出したのだろうか。
きっかけは、「モーリヤック著作集」を古書店から注文したことにあった。

私は、高橋たか子の「高橋和巳の思い出」を注文するためにインターネット古書店の目録を調べているとき、高橋たか子が「モーリヤック著作集」の訳者の一人になっていることを知ったのである。そしてモーリヤック著作集の中の「蝮のからみあい」というような題名を眺めているうちに.その昔、「女性への憐憫」というフランスの小説を読んだことを思い出し、何となく「女性への憐憫」の著者はモーリヤックではなかったかと錯覚してしまったのだ。
私はモンテルランの本をもう一度読んでみたくなった。それで、インターネットでモーリヤック著作集6巻を注文した。そして到着した著作集を一冊ずつ調べていったが、「女性への憐憫」もなければ、「癩をやんだ女たち」という作品名も載っていない。これで、ようやく私は自分が錯覚していることに気づいたのだ。

今度は、「女性への憐憫」という項目で調べてみる。すると、著者は、モンテルランとなっている。そうだった、著者はモンテルランだったのだ。古書店の販売目録にはモンテルランの本も載っているので、それを注文する前に、とりあえず、ちょっと「モーリヤック著作集」の一冊を電子書籍に変換して読んでみた。私は以前からカトリック系作家の長編小説を愛読しており、日本人作家では遠藤周作や加賀乙彦の作品、外人作家ではグレアム・グリーン全集を購入して少しずつよんでいるのだが、モーリヤックの作品は、「パスカルとその妹」しか読んでいない。

・・・・こんなことから、思いもよらず、モーリヤックに向かう道が拓けたのであった。