昨日の新聞に「日中共同世論調査」の結果が載っていた。それによると、日本側で軍事的脅威を感じている国は、ダントツで北朝鮮が多かった。中国を驚異と感じるものが43パーセントだったのに対し、北朝鮮をあげた者が72パーセントに達していたのだ。
北朝鮮は金日成時代の農業政策の失敗、金正日時代に入ってからの軍事優先政策(先軍政治)の結果、GNPは破滅的なまでに低落し、工業生産力にいたってはゼロに等しいところまで低下しているといわれる。一点集中的に政府が力を注いでいる核兵器・ミサイル関連事業こそ世界の注目を集めているものの、その他の兵器は骨董品同様で使用に耐えないと評されている。
戦前の日本がそうだった。
開戦前の日本は、戦艦大和やゼロ戦など、「世界に誇る最新兵器」を持っていたが、兵士に与えられた小銃は明治38年製の重くて不格好な単発式小銃で、まさに骨董品的な代物だったのである。それより印象的だったのは、日本軍戦車の性能の悪さだった。
日中戦争が始まる前、軍事知識の普及のため、陸軍が一台の戦車を松本市に送り込んできたことがある。小学生だった私は、興味津々、この戦車を一日中追いまわしたものだった。ところが、戦車は100メートルほど進むと、道の真ん中でぱたっと止まってしまうのだ。すると、戦車の中から兵士が出てきて、車体の下に潜り込んで修理をはじめる。
ようやく動くようになったと思ったら、それも束の間、戦車はすぐに動かなくなるのだ。(戦車って、とても複雑なんだなあ)と小学生は失望したり、感心したりして、帰途についたのだったが、その日本軍戦車の実力を白日下に明らかにしたのがノモンハン事件だった。ソ連軍戦車の前に、日本の戦車隊は手もなく壊滅してしまったのだ。
太平洋戦争でも、日本の戦車は使い物にならなかった。戦車を地面に埋めて保塁として使用するという哀れなことになったのだ。ソ連の戦車が優秀だったのは、集団農場向けのトラクター製造技術があったからであり、米軍の戦車が優れていたのは自動車産業が発展していたからだった。バックに一定水準の工業力がないと、政府や軍部がいくら頑張っても、使い物にならないような兵器しか作れないのである。(つづく)