戦後に見たニュース映画のなかで印象に残っているのは、ニュールンベルク裁判におけるゲーリングの態度だった。ナチスのナンバー2だったゲーリングは、この裁判で連合国側の検事から激しい追求を受けたが、全く反省の色を示さなかった。足を組んで仕切に寄りかかり、ふてぶてしい姿勢で検事の言葉を聞き流していた。
そして検事の追及が山場にさしかかると、「まあ、好きなだけ言うがいいさ」とせせら笑って見せるのだ。ナチスの戦犯達は、おおむねこうした態度で裁判に臨んでいたのである。
これに対して東京裁判における日本側の被告は、精神異常を起こした大川周明をのぞいて、大変おとなしかった。特に、東条英機はまるで学校の優等生のように行儀正しくして、せっせとメモを取っていた。丸山真男は、こうした法廷での被告の振る舞いを通して日独のファシズムの違いを明らかにしたのだった。
ヒトラーをはじめナチス党幹部は、アウトローによって構成されていた。彼等は学校生活に適応できず、学校を落第するか中退していた。彼等は社会に出てからも、一向に芽が出なかった。幹部の中には失業者も混じっていた。ナチスは、いわばアウトロー集団であり、彼等がドイツの統治機構を乗っ取ってファシズム体制に切り替えたのだ。法廷での彼等の不作法な態度も、本来の地を出しただけのことだった。
ところがファシズム国家日本を支えたのは、ドイツと違って体制内エリートだったのである。日本の戦争指導者を調べると、軍人は陸軍大学を出た「統制派」のメンバーだし、文官は帝大出身の秀才達で、順調に出世街道を進んでトップにたどり着いたエリートなのだ。だから、法廷の被告席についても、よくしつけられた優等生のようにキチンと端座していたのである。
日本の戦犯の多くが、法廷で自己の責任転嫁に終始したことも記憶されていいだろう。事実、彼等は組織内の一員として慣例に従って行動したに過ぎないのである。
東条英機は逮捕される直前にピストル自殺を試みている。所持していたピストルのうち一番小型のものを選び、それで腹を撃ったのである。彼は米軍病院に運ばれて程なく回復するが、治療に当たった米軍軍医に感謝の印として日本刀をプレゼントしている。
ニュールンベルク裁判を終始嘲笑し続けたゲーリングは、死刑の前夜に義歯に隠しておいた青酸カリを飲んで自殺し、法廷を否認する姿勢を最後まで貫き通した。私は格別ゲーリングを賛美するつもりはないけれども、他人の評価の中で生きている日本のエリー達には、アウトローなりに節を守ったゲーリングの爪の垢でもなめて欲しいと思うのだ。
近ごろ、右傾化した言論人の間に東条英機賛美論が盛んになっている。天皇が最も信頼していたのは、東条英機だったというのである。そして、本当かウソか、昭和天皇の、「自分の意志を一番忠実に実行してくれるのは東条だ」という言葉を、証拠として引用する。
だが、そんなことを強調すれば、東条が行った戦争犯罪は昭和天皇の命じたものだということになる。東条の弁護論は、昭和天皇に戦争犯罪人の汚名を着せることになるのだ。右翼の皆さんは、もう少し口の利き方に気をつけた方がいいのではないだろうか。
(写真:ニュールンベルク裁判所、左端がゲーリング)