甘口辛口

車谷長吉「世界一周恐怖航海記」(1)

2006/8/18(金) 午前 11:07
久しぶりに車谷長吉の本を読んだ。「世界一周恐怖航海記」という本である。

車谷の本の面白いところは、私情をむき出しにして書いているところだ。公正であろうとして個人感情を殺してしまう世上の論考にくらべると、書き手の気息がハッキリと伝わってくる点が面白いのである。この本にしても船で一周してきた世界について書く代わりに、同乗した相客の生態を描写したり、女房自慢をしたり、わが身の来し方行く末を思いやったり、気ままに筆を進めるという書き方をしている。

大体、彼は世界一周なんぞをしたくなかったのである。夫人がその計画を立てたので、家に一人で置いてけぼりにされるのが怖くて付いていっただけなのだ。案の定、船に乗ってみると回りは海ばかりで、幽閉されたような気分になり、ひたすら彼は図書室にこもることになる。

乗客には女が多い。その女性客たるや、
<この船の女の乗客の大半は、セクシー・ギャルかセクシー婆アである。男を誘惑する女である。ところが誘惑されて乳房にさわると「痴漢ッ。」と騒ぎ立てる。男をなぶりものにしているのである>

こういう女客にくらべると、車谷夫人は断然優れている。

<美人を見ると、なぜ心地よいのだろう。分からない。不思議だ。美人ではあるけれど、性器の汚れているような感じのする女がいる。女優・歌手の類いに、この手の女が多い。「性器の汚れているような感じ」とは、絶えず性器が発情しているという意味であるが。
女は「飽き」の来ない女が一番だ。うちの嫁はんだ。美人というだけでは、すぐに飽き
来る。元美人の糞婆アが厚化粧しているのほど、おぞましいことはない。そういう女がこの船の中にも数人いる。それとは別に、醜い女を嫁にしている男がいる。味わい深いことである>

ついでに、この本の中にある彼の「のろけ話」を引用しておこう。

<数年前のある晩、いっしょに飯を喰うている時、順子さん(注:車谷夫人のこと)が「くうちやん、私が先に死 んだら、そのあとどうするの。」と言うた。「朝日の古高さんに来てもらって、二人で暮らす。」と答えると、順子さんは卓袱台をひっくり返して、わツと大声で泣き出した。

驚いた。古高亜紀さんは朝日新聞学芸部記者で美人、嫁はんより十歳ぐらい年下で独身、嫁はんとも顔なじみ。・・・・・数日後、嫁はんは「くうちやん、お墓を買いたい。そのお墓にくうちやんと私の名前を二つ彫り込むの。そしたらもし古高さんが後から来ても、私たちの墓には入れないから。」と言い出した。

そしてこの世界一周旅行から帰国したら、墓を買うことになっている。嫁はんとしては死後も絶対に私を放さない積もりである。もし私が古高さんと再婚すれば、「化けて出てやる。」積もりなのだそうだ。女は凄いものである。私には順子さんより先に死ぬ以外に救いはない。>

ちなみに車谷夫人高橋順子は、東大卒の才媛で詩人である。(つづく)