甘口辛口

密室としての日本(3)

2006/9/19(火) 午前 10:14
オウム真理教は、トップに絶対的な権威を持った麻原がおり、その下に幹部信者からなる指導部があり、その下に一般信者がいるという三段構造になっていた。オウムの特徴は、信者達を修行の達成度に応じて細かな位階に分ける「ステージ制」にあった。教団の指導部は、このステージを昇りつめた上位者によって構成され、そして、このステージを決める権限を持っているのが教祖の麻原だったのである。

麻原には、劣等感の裏返しとしての学歴信仰があり、高学歴のエリートたちをステージ上位の正悟師、正大師などに任命していたから、彼等の間に自然に昇進競争が始まった。こうした状況に置かれると、受験戦争を勝ち抜いて来た彼等は、ゲートに入った競走馬のように本能的にがんばってしまうのだ。入信したときには純粋な理想に燃えていた彼等も、かくて業績を競い合うエリートサラリーマン同様の心理に陥ってしまった。

ステージ制を利用して幹部信者を意のままに操るようになった麻原は、超能力が身に付くというウソ八百を餌にして無知な信者らを「修行」に駆り立てる一方で、批判力のある有害な信者をリンチ殺人で抹殺するようなことをしている。麻原の命を受けて、信者、元信者が一人ずつ殺されており、教団の内部には目に見えない恐怖政治が敷かれていた。

連合赤軍もこれと同様な三段構造を持っていた。
総員29名の連合赤軍は、委員長の森恒夫と副委員長の永田洋子の指揮下にあった。やがて実権は性格の弱い森恒夫からタフな永田洋子に移り、彼女は中央執行委員7名を思うままに動かすようになる。そして一般隊員に容赦のないリンチを加え、その恐怖政治によってグループ全体を手足のように動かすに至った。

そして、戦前の日本も、こうした三段構造を形成していたのである。
普通、国家は政府と国民という単純な二層構造になっており、マスコミは国民の側に立って政府を批判する役割を果たしている。図示すれば「(政府)──(マスコミ+国民)」という関係になっている。

だが、他国に移住したり亡命したりすることが困難な島国の日本は、地理的な位置関係からオウムや連合赤軍のような密室状態にあった。その日本には、天皇が君臨し、これを立身出世競争の勝者たる官僚・軍人が支え、その下に民草と呼ばれた国民がいて、絵に描いたような三段構造を形成していたのだった。官僚・軍人は、「国策」を批判する勢力を特高警察を駆使して徹底的に弾圧したから、マスコミは政府の走狗になり、国民の側に立って発言することが遂になかった。日本は、「(天皇)──(政府+マスコミ)──(国民)」という関係になっていたのだ。

戦後、天皇は象徴になって「天皇大権」を失ったから、見かけ上は日本も二層構造になったように見える。だが、マスコミが政府に批判的な態度を示したのは安保騒動あたりまでで、それ以後マスコミは政府のための情報機関のようなものになり下がってしまった。戦前の「政府+マスコミ」という癒着関係が再現したのである。こうなると国民の社会意識は弱体化し、権威に随順する世間意識が強くなる。

日本人は個人の意見を胸にしまい込んで、情意共同体である世間に同調し、体制維持派に転じるようになった。というより、個人的意見を無意識化して、マスコミの作り出す気分と一体化するようになったのだ。

こうなれば、世間と社会は別の原理で動くようになり、両者の乖離現象がいよいよ目立つようになる。例えば、世襲議員が増えたことや公明党が自民党と組んで集票組織の一端をになっていることに疑念を抱いている国民は多いにもかかわらず、これに対する批判が公然化することはないのだ。

現在の日本を図式化すれば、自民党がマスコミを取り込み、同党はこのマスコミを利用して世間を味方につけ、国民の上に君臨しているということになるだろう。「(自民党+マスコミ)──(世間)──(国民)」という関係になっているのだ。これが密室国家日本の現状なのである。

私はこれまで日本が世界の潮流から取り残されている事例として、死刑制度を残していることや、皇位継承問題で男系継承論が盛んなことをあげてきた。だが、このほかにも「日本の常識は、世界の非常識」という事例があまりにも多すぎるのである。しかし、私は別に悲観してはいない。戦前の天皇制絶対主義が敗戦によって崩壊したように、そして戦後にオウムや連合赤軍が自壊したように、密室構造に陥った社会や集団が長続きすることはないからだ。

自民党が一党独裁に近い優位を示してきたのは、政界への人材供給源だった官僚が、こぞって自民党から立候補したからだった。だが、自民党議員の世襲化が進行して、自民党から立候補するのが困難になれば、官僚は民主党から立候補するようになる。そうなれば、自民党の優位は危うくなり、同党が弱体になれば、自民党からの圧力を恐れて同党と連立していた公明党も、態度を変える可能性が高くなる。世の中が変わって行く可能性は、あちこちに潜んでいるのである。