プロ野球のペナントレースも終盤になり、セ・パ両リーグとも各チームの順位がはっきりしてきた。新聞のスポーツ欄には、小さな見出しで、「巨人軍の2年連続Bクラスが決定」という記事が載っていた。2年連続Bクラスというのは、巨人軍の歴史で、はじめての記録だそうである。巨人が弱くなると、TVの視聴率にも影響が出て、野球中継の方も歴史上初めてという低水準を記録している。
昔を知る私たちにとって、ジャイアンツの人気がここまで落ちるとは、とても信じられないことなのである。王.長嶋が活躍した川上巨人時代の頃には、周りを見回せば巨人ファンばかりだった。その頃、政治の世界では自民党が優位を占め、国会での議席配分は自民を6とすると、社会党は3.その他の政党が1という具合になっていた。この比率がプロ野球におけるファンの構成に似ていたから、私などは「6・3制社会」論という新説を思いついたくらいだった。
「6・3制社会」論は、学校教育の6・3制から得た着想である。私には当時の日本人が、何事についても主流派6割、反主流3割、その他1割の比率を示しているように思われたのだ。
私の観測によれば、自民党を支持している人々は、大体が巨人軍ファンなのであった。巨人ファンがジャイアンツを愛するのは、それが「球界の盟主」だからであり、日本シリーズに勝ち続けているからだった。自民党の支持者が、この党に投票する理由も、同党が政権を独占しつづけ、一貫して日本を動かしているからなのである。
つまり、自民党・巨人軍を支持する国民が過半数を超えているのは、日本人が強者への批判を避け、その代わりに強者と心理的に一体化する方を選ぶためなのだ。日本人は徹頭徹尾「世間埋没型」であり、世間の選ぶものを選び、世間の愛するものを愛するのである。
しかし暫くすると様子が違ってきたのだった。プロ野球ファンの間で、地殻変動が起こり始めたのだ。発端は、阪神にバース、掛布、田淵というような強打者があらわれて、リーグ優勝の地位を巨人軍から奪い取ったことだった。これを機に従来あまり表に出なかったアンチ巨人の流れが、タイガースファンという形で結集することになったのである。
私は二十数年前に、後楽園でプロ野球のオープン戦を見たことがある。座席がたまたま阪神の応援団のなかにあったので、タイガースファンの生態を親しく見ることが出来た。タイガースファンは、巨人軍のそれとは全く違うのである。巨人ファンが紳士的だとすれば、タイガースファンは野性的というのか、熱狂的というべきか、とにかく口汚いのだ。
オープン戦だから、対戦相手はパリーグのチームだった。私の近くに20代の若者が数人いて、これが口やかましく相手チームを野次る。野次られるのは、引退の近そうな年の行った選手に限られていた。
「引っ込め、じじい!」
「ドン百姓」
罵倒用語に「百姓」という言葉の頻発するのが特徴的で、若者たちの口から「百姓野郎」とか「ドン百姓」という言葉がしきりに飛び出す。
どっちが勝ったか覚えていないけれども、試合が終わって球場の外に出たら選手を送迎するバスが一台止まっていて、そのまわりをおびただしい「トラキチ」たちが取り巻いていた。さっきまで口汚いヤジを飛ばしていた彼らがうってかわって静粛になり、バスに乗り込む阪神の選手たちを静かな眼で見つめている。
選手たちが乗り込んでしまったのに、バスはいっこうに発車しない。球場の中には新聞記者にかこまれた監督やコーチが残っていて、彼らが来るのを待っているに違いない。バスを取り囲んだ群衆はその場から立ち去ろうとしないで、じっと沈黙を守りながら、車内の選手たちを見つめている。選手に対する彼らの熱意と愛情のようなものが惻々と伝わってきた。ああ、これが阪神ファンか、と思った。
巨人ファンは、まわりがジャイアンツを応援しているから自分も応援するのである。だから、まわりの熱が冷めれば自分たちの感情も冷えて行く。だが、アンチ巨人の情熱から出発して阪神ファンになった者は、うちに反主流・反体制の革命精神を持っているから、タイガースが最下位になってもチームを見捨てはしない。多数派の愛は風向きが変われば変わるけれども、少数派の愛は多数派への対抗意識に裏打ちされて簡単には変わらないのである。
巨人軍に斜陽の兆しが見えてきたが、自民党の方はどうだろうか。勝ち馬を買う心理から自民党を支持してきた国民が多いとしたら、万年与党の自民党といえども安心してばかりいられないだろう。