甘口辛口

「ハレ」型人間・「ケ」型人間(3)

2006/12/27(水) 午前 11:58
12月24日の有馬記念に集まった12万人の競馬ファンが、ディープインパクトを迎えて白い紙筒を打ち鳴らす場面は圧巻だった。原っぱを埋めたススキの穂が一斉に風になびくようだったのだ。それにしても、あの12万人の観客は、皆、馬券を買ったのだろうか。

競馬ファンといい、競輪ファンといい、ギャンブルを好むのは「ハレ」型人間で、「ケ」型人間はギャンブルを避けるのではないかというのが、私の印象である。

私は昔、一度パチンコをやったことがある。病気が治り、教員として再起したある日、パチンコというものをやってみようと思い立って、店に入ったのだ。あまり流行らない店と見えて、客は僅かしかいなかった。千円札を出して玉を買い、その玉を一つずつ穴に入れてはじき始めた。その頃のパチンコは、玉を一個ずつはじき、その玉の行く末を見届けてから次の玉をはじくという悠長な方式だったのである。

バネの強度を指先で調整しながら、玉をはじいて行くのは結構面白かった。ひとしきり遊んで帰るときには、玉は倍くらいに増えていた。初戦で儲けが出たのである。一月ばかりして、また、パチンコ店に出かけたときには、ひとつ儲けてやろうという魂胆を胸に秘めていた。

こんな目論見をもってパチンコ台に向えば、ろくなことはない。台に向かったときの緊張感が災いしたのか、今度は惨敗だった。千円分の玉が暫くすると、すっかりなくなってしまったのだ。前回に元手を倍にしたのだから、これで差し引きゼロになったことになる。

私はこれ以後ギャンブルのたぐいに手を出さないようになったが、それは損得勘定からではなく、ギャンブルをするときの緊張感が不愉快だったからだ。ギャンブル好きの人々にとっては、同じ緊張感が好ましく感じられるに違いない。だが、「ケ」型人間には好ましい緊張感と不快な緊張感があり、ギャンブルに手を染めたときの緊張感は不快な部類に入るのだ。

ドストエフスキーは名声を得てからも、賭博の悪癖からどうしても足が抜けなかった。彼はのるかそるかの緊張感を愛していたから賭博狂になり、作品もスリリングなものになったのである。トルストイは「ケ」型人間で本質的にシャイな男だったから、サロンでの社交を嫌って、農場で黙々と働くことを好んだ。作品もこうした彼の性格を反映して、リアルなものになった。

「ケ」型人間には、不快な感触と結びついた緊張感が多すぎるので、しまいには、緊張を強いられる場面そのものを避けて自分の穴に逃げ込んでしまう。

高所恐怖という心理現象も、根は不快な緊張感に起因しているのではなかろうか。
私が自分の高所恐怖症に気づいたのは、子供を連れて動物園に出かけ、そこに設置された水車型の観覧椅子に乗ったときだった。座席が上昇をはじめて園内を見下ろす高みに達したときに、不意に恐怖を感じた。これまで高所で恐怖を感じるなどということは全くなかったのに、突如、恐怖で体が固くなったのだ。

「ハレ」型人間にとって、観覧車やジェットコースターに乗ったときの緊張感や恐怖感はむしろ快いものだろう。このタイプの人々は、「ケ」型人間とちがって積極的に緊張感を求めている。他者との出会いを期待して社交の場に出かけるのも、刺激と緊張感を求めているからだし、ジェットコースターに乗り込むのも快適な緊張感を味うためだ。

こうして見てくると、「ハレ」型人間と「ケ」型人間を分けるのは、緊張感に対す両者の態度だという気がしてくる。しかし、繰り返して強調しておきたいのは、この二つのタイプは固定した性格類型のようなものではなく、状況に応じて変化する変動型のタイプにすぎないということだ。だから、仕事に就いていた頃にキャリア組だった女性が、出産後に家庭的な専業主婦になるということもおこるのである。