正月三ケ日のTV、新聞といえば、一見盛りだくさんで実は無内容というのが通例になっている。そこで例年、正月には自家製の梅酒を飲みながら、囲碁ソフトを相手に碁を打つことにしていた。これなら誰にも迷惑をかけずに正月を過ごせるのである。しかし、今年は一年前の胃痙攣の後遺症で、碁を打つ元気がなかったから、軽い本を読み、本に飽きたらDVDレコーダーに録画しておいたTV番組を見るという風にして三日間を過ごした。
録画してあったTV番組のうちで、ちょっと興味があったのは、「太田総理と田中秘書──憲法9条を世界遺産に」という番組だった。これのどこが面白かったかと言えば、「太田総理」と石破元防衛庁長官の論戦中に、石破元長官が一度だけたじろいだ場面があったからだ。
それは「太田総理」が、国を守るために戦争が必要だというのなら、若者を戦場に送り出さないで、そういう本人が出て行ったらどうだ、と言ったときだった。これは反戦論者がよく口にする論法である。どうやら好戦論者にとっては、こう言って反撃されるのが一番応えるらしいのだ。一瞬ひるんだ石破の表情が、そのことを何よりも雄弁に語っていた。
ほかに、オヤと思ったのは、戦争体験者が戦時下の食糧難時代に、高級軍人だけはいいものを食べていたと語る場面で、画面下に流れるテロップに「海軍所」という文字が出てきたことだった。これは明らかに「海軍省」の誤りなのだ。敗戦までは海軍省という役所があり、海軍大臣もいたのである。若いテレビマンが、「海軍省」を「海軍所」と書き誤るほど、戦争は遠い昔のことになったのだ。
もし憲法が改正されれば、安倍晋三が「自衛軍」の総指揮官になる。彼が自衛軍を海外に派遣し、戦場で戦わせることになったとしたら、これに反対する意見のうちで一番身に応えるのは、やはり、そんなに戦争がしたければ、まず、安倍晋三自身が銃を取って出征せよという意見だろう。
内地にいて戦争を指導した「陸軍省」「海軍省」の高級軍人たちは、兵士たちの生命を使い捨ての消耗品だと考えていた。日米開戦当日に、真珠湾に潜航して米軍艦艇に魚雷攻撃を仕掛けた5隻の「特殊潜航艇」というのがあった。この潜航艇は何の成果を上げることなく、乗組員10名中の9人は死に一人が捕虜になっている(死んだ9人は「軍神」としてあがめられた)。ところが海軍の上層部は、特殊潜航艇が無効であることを知りながら、その後も潜航艇を作り続けた。
(参照 https://amidado.jpn.org/kaze/home/izumi.html)
その結果は悲惨なことになった。その後特殊潜航艇の乗員に任命された239人の海軍軍人が、ほとんど成果らしい成果を上げることなく、ことごとく「無駄死に」しているのである。
兵士たちを使い捨ての消耗品と考えている点は、戦場での指揮官も同じだった。
特攻隊の飛行士を送り出す現場指揮官は、出発に当たって、「諸君は先に逝ってくれ。私も必ず後から行く」と訓示するのが常だったが、部下に続いて出撃した指揮官のいたという話を聞いたことがない。
自分が率先して死ぬ覚悟がないかぎり、他人を死地に追いやるべきではない。これは人間の最低のモラルではなかろうか。その証拠に、好戦論者は、「お前が先ず最初に出征しろ」と言われたときに一番応えるのだ。戦争というのは、人間としての最低のモラルが守られないばかりか、「一将功なり、万骨枯る」という現実さえ生む忌まわしいものなのである。
人類は、こんな愚かしいことをいつまで続けるのだろうか。