甘口辛口

天命を知る

2007/1/11(木) 午後 5:33
現役の頃には、仕事柄、「論語」を何度か読んだ。全文を通読するという形で、何度も読んだのである。人生の真実を平明な言葉で述べる論語の章句のうちで、読むたびに感心させられるのは、「人間一生の行程」に関する孔子の解説だった。

志学──15才
而立──30才
不惑──40才
知命──50才

孔子は、志学の項で、人は「十有五にして学に志す」けれども、人が内面的に自立するのは30を過ぎてからだと言っている。少しでも、過去を振り返ったことのある者なら、誰でもこの言葉の正しさを認めざるをえないのではなかろうか。

学問はもちろんのこと、音楽でも、スポーツでも、それぞれに固有の醍醐味のようなものがある。そして、それが分かってくるのは14、5歳頃からなのだ。子供の頃の神童が、20を過ぎればただの人になってしまうのはなぜか。その子が14、5歳の頃にやってくる志学体験をしないまま、幼少時の機械的記憶に頼る学習法を続けているからではないか。

音楽の世界でも、単に手先の器用さでピアノの難曲を引きこなしていたような子供は伸びない。思春期の始まりに心底から音楽に感動した少年少女だけが、長じて一流の音楽家になるのだ。

14、5歳で「志学」に目覚めるのには、性ホルモンの分泌に関係があるかもしれない。私は小学生の頃、暇に任せて母の購読している「主婦の友」の小説を読んだり、新聞の連載小説を読んだりしていたが、ただ筋のおもしろさに惹かれて読んでいたに過ぎなかった。それが、旧制中学3年になって、徳富蘆花の「思い出の記」という古くさい小説を読んでいる時、不意にそれまで知らなかった感動に襲われた。そして同じ頃に、ただやかましいだけだと思っていたジャズが突然「分かる」ようになったのだ。思春期を迎えると共に、人間の感受性は一挙に深まるらしいのである。

14、5歳で「志学」の洗礼を受けた少年少女は、それぞれ自分の好む分野にのめり込んで行く。そして、夢中になって学習や研究、自己訓練や試行錯誤を繰り返すのだが、少数の例外を除いて、たいていの若者は30歳になるまでは先行者を模倣するだけに終わる。この年代は、卓越した先人に傾倒し、そのスタイルを真似ることに専念する時期なのだ。

各人の人生観のようなものが固まり、一応、自立して社会で活躍するようになるのは30歳以後だから、孔子は「30にして立つ」と言ったのである。だが、30代はまだ迷いや疑問に襲われることが多く、居直って「我が道を行く」ようになるには40歳を待たなければならない。「40にして惑わず」という孔子の言葉は、こうした事情を背景にしている。

ここまでは常識的な解釈が通用するけれども、「50にして天命を知る」については一考を要するのではなかろうか。一体、「天命」とは何だろうか。孔子をもってしても50にならなければ理解出来ないほど深遠なものなのか、それとも年を取れば誰でも体得できる日常的なものなのか。

「天命」を天から与えられた使命だとか、天がその人だけに与えた運命だというふうに理解されている。だが、これを何かしら高貴なもののように考えるのは間違っていると思うのだ。孔子は自分を特別な人間とは考えていなかったし、自らの思想も世によくある常識的な思考の一つ(ただし真なるもの)に過ぎないと考えていた。こういう彼は、天命をごく卑近な現象の中に見いだし得るものと考えていたのだ。

孔子が生きていた時代は、今より寿命が短かった。当時、50歳といえば自らの老いを自覚し、折に触れて自分の人生をかえりみるようになる年齢だったのである。自分の人生に、この先目新しいことや大きな変化はないと見切ったとき、人は気落ちのようなものに取り付かれながらも、人間世界を従来とは違った目で眺めるようになる。

今までは、一人一人の人生に天と地ほどの違いがあると思っていたのに、人生の終点に立ってみると、個々の人間の運不運は視野から消え去り、すべての人間が「人間という類に与えられた共通の行程」をたどる同類に見えてくるのだ。

私たちが植物を見れば、皆同じように映る。彼らは時期が来れば同じように芽を出し、同じように花を咲かせ、同じように実をつけて枯れて行く。地味の豊かな土地に育った植物は、他より太い茎を持ち、他より美しい花をつけるかもしれない。けれども、その生長の機序は他と同じだし、終末にいたるまでの行程も同じ、最後に枯れて無に帰する点も同じなのである。大局から見れば、草は皆同じ生を全うして枯れて行くのだ。

人間も草と何ら変わりはない。
金持ちか貧乏か、有名か無名か、見た目には大きな違いがあるように映るけれども、人間の死に至るまでの行程は皆同じなのである。生まれて親に養われ、教育を受けて自立し、職を得て結婚し、子を育てて死ぬ。

この全行程こそが生きるということの実質であり、天が人間に与えた宿命なのだ。そして、この宿命を孔子は「天命」と呼んだのである。

人は、よわい50になれば、人間が皆同じ行程を歩み、同じ悲喜哀歓を感じ、同じように嘆きつつ死んで行くことを悟る。自分がそういう運命共同体の中に置かれて万人と等しい生を送ることが天命なのである。

人類に科せられた、このような冷厳な現実を知った人間は、以後この枠から飛び出すようなことを考えない。孔子は天命を知った人間が何を欲しようと、その欲することが倫理の枠を逸出することはないと保証している。

孔子の「天命」がこのようなものだとするならば、彼は魯の国の人間ばかりでなく中国全体、世界全体の人間もまた「天命を知る」存在と考えていたにちがいない。彼が現代に生きていたら、人類全体を同胞と見る世界市民論者になっていたはずである。だからこそ、彼はソクラテスや釈迦と並んで「人類の教師」と目されているのである。