甘口辛口

花の外国人妻

2007/3/14(水) 午後 3:07
民放テレビで時々見ている番組に、「奥様は外国人」というのがある。
先日、これを見ていたら漫才よりも面白くて、大いに笑ってしまった。故国日本で大事に育てられていた一人息子が、アルゼンチンに出張中に自由奔放な現地の娘と恋仲になり、結婚して日本に帰ってくるところから話は始まる。

新婚夫婦を迎える実家には、夫と死別した母親とその妹である叔母が待っていて、新婦を「長男の妻」にふさわしい嫁にしようと悪戦苦闘するのだ。母親・叔母の連合軍は、「嫁は息子の出勤前に起きて、味噌汁付きの朝食を食べさせるべきだ」という信条に基づいて、嫁に早起きして台所に立つことを求めるけれども、相手は寝坊をしていてなかなか起きてこない。

起きてきたかと思うと、パン食に固執する彼女は、姑がこしらえた日本食には手もつけない。自分と旦那のためにパンを焼き、コーヒーをわかすだけである。だから、一家が顔をそろえる朝食の席で、夫は両陣営の顔を立てて、味噌汁ご飯とパン食の両方を食べなければならない。彼女はまた、仏壇の前に座って先祖の供養をすることにも抵抗する。彼女は、死んでしまって既にいない人間に、供物を供えたり線香を立てたりするのは無意味だと主張する合理主義者なのである。

会社員の夫は残業で帰りが遅くなり、午後9時頃に帰ってきて食事を取る。だが、そのころにはアルゼンチン妻は布団の中に入って寝ているのである。母親・叔母連合軍は、夫が遅くまで働いて帰ってくるのに夕食を食べさせないで寝てしまうとは何事だと叱るが、嫁はケロッとして夫の帰りが遅くなったら、先に寝るのは万国共通の大原則だと答える。

母親から見れば、こんな至らぬ妻を持った息子が可哀想でならないのだが、息子の方は格別不満はない様子で、妻に何点を与えるかと問われると100点満点と答えている。

妻の方も夫に不満はないらしい。そして、夫のどこが気に入っているかと、質問されると、あっけらかんと、「私は胸毛のある男は嫌い。うちの人は肌がすべすべしているから好き」と答える。日本妻なら夫の持つ精神面の美点をあげるところを、外国人妻は端的に夫の肉体が自分の好みに合っているからと答えるのだ。

このアルゼンチン妻と同時に紹介されたもう一組の夫婦もユニークだった。
こちらはスエーデンからやってきた空手好きの女性で、来日して空手道場で修行中に師範の男と結婚したのだった。彼女も、夫のどこに惹かれたのかと問われて筋肉隆々たる体に惹かれたと答えている。この旦那はその肉体を誇示するためか、自宅に戻ると冬季をのぞいてパンツ一丁の裸でいるそうで、この番組でも彼は風呂上がりのような格好で家の中を歩き回っていた。そして夫がソファに座ると、スエーデン妻が裸の夫の胸板をさも愛しそうに指で撫でるのだ。

少女のような顔をしたこのスエーデン妻は、家事が苦手で、何をやらせてもおおざっぱでいい加減らしいのである。料理がいい例で、彼女が得意とする献立は、豆腐を丸ごと丼に入れて、この上に納豆ひとパック分を乗せ、更にその上に細切れにしたマグロの肉をばらまいて、スプーンですくって食べるというものなのだった。これなら、調理時間がゼロで済む。こういうハチャメチャなスエーデン妻を、夫がどう評価しているかと言えば120点を与えている。

一般の日本人の感覚からすればダメ女にしか見えない外国人妻も、一緒に暮らしてみれば格別の不都合はなく、むしろカラッとしていて気持ちがいいようなのだ。日本の夫は、妻に自分勝手な要求を突きつけ、その要求を無視されると気配りが足りないといって相手を責める。日本人の営む家庭は、他国のそれに比べて繊細で優美かもしれない。だがそれは、女性だけに細やかな気配りを要求する日本的瑣末主義が生み出したものなのである。夫の退職するのを待って、妻が離婚を切り出したりするのも、日本の伝統的な家族制度に根深い歪みがあるからなのだ。

テレビで、こうした番組を見ていると、今後、国際結婚が増えれば、わが国の家族制度や家庭生活にも希望が持てるような気がしてくる。日本の家族制度に順応し、日本式家庭のしきたりに馴染んだ外人妻よりも、日本人の瑣末主義に反旗を翻し、我を張り続ける外人妻の方が、日本の将来のために役立つのである。

その意味で、皇室の慣行に馴染めないで精神を病んだ美智子皇后や雅子妃の存在は大きいのだ。紀子妃のように皇室のしきたりにすぐ馴染み、必要とあらば男の子を産んでくれる女性よりも、皇室に適応できない后妃たちの方が皇室のために貢献すること大なのである。天皇制の根底に大きなマイナス面が潜んでいることを人々に教えてくれるからだ。

われわれは、銘記しなければならない、世界史の大勢は、諸人種・諸民族が混和し、すべての人間の生活が平準化する方向に向かって進んでいることを。