このところ、寝る前の一時間を書見器に仕掛けてある大岡昇平全集を読んでいる。
全集のなかに「作家の日記」というのがあって、昨夜、昭和33年1月20日の項を読んでいたら160行に及ぶ長い「詩のようなもの」(大岡自身の注釈)が載っていた。
昭和33年といえば、戦後13年たち、フィリピンから復員してきた大岡昇平が作家として盛名を得て、さかんに活躍していた時期である。この日も、作家仲間や編集者とゴルフをして帰宅し、夜になってテレビをつけたのであった。すると、ニュースが「銀河丸出帆」の場面を映していた。
大岡は一週間ほど前の夕刊で、「銀河丸」がフィリピンで死んだ兵士たちの遺骨収集船であることを知っていた。その収集船が彼の駐屯していたサンホセに寄港することを知って、彼はショックを受けていたのである。その日の日記に彼はこう書いている。
<サンホセで死んだ友達をどこへ埋めたか、僕は知っているつもりである。何故おれにきいてくれないんだ。「銀河丸」があんなつまらない戦場へ寄ってくれるなんて、こっちは考えもしなかったんだ>
その夜、彼は布団に入ってから、フィリピンで死んだ戦友たちのことを思い出して涙を流している。大岡はその日、自分も「銀河丸」に乗り込んで現地に赴き、「サンホセの大地にぶっ倒れて、わあわあ泣いてみたい」と思ったのだった。
だが、今から参加を申し込んでも遅すぎるし、それに仕事を一杯抱え込んでいて手が離せない。それで、船に乗り込むことを諦めていたら、その「銀河丸」の出帆するニュースがテレビに映っていたのである。波止場には戦死者たちの遺族が見送りに来ていた。遺族たちは、船を見送りながら泣いていた。
遺族の流す涙に衝撃を受けた大岡は、激情に駆られて、死んだ仲間に呼びかける160行の長詩を日記に書き付けたのである。
<おーい、みんな、
伊藤、兵藤、荒井、厨川、市木、平山、それからもう一人の伊藤、
そのほか名前を忘れてしまったが、サンホセで死んだ仲間達、
西矢中隊長殿、井上小隊長殿、小笠原軍曹殿、野辺軍曹殿、・・・・・>
彼は目の前に浮かんできた仲間の名前を列挙しながら、死んだ仲間に綿々と話しかける。やがて、それは嘆きの言葉に変わる。
<・・・・なさけないことは、ほかにもたくさんあるんです。
誰も僕の気持ちを察してくれない。
なさけない気持で、僕はやっぱり生きている。
わかって貰えるのは、みんなだけなんだと、今日この時、わかったんです。
・・・・・・・
しかしとにかく今夜この場で、机の前に座り、
大粒の涙をぽたぽた落とし、
みんなにきいてもらうんだ。
うん、あれはどうしてもおれ達のほかには分からないことなんだ>
それから、大岡は反動化して行く日本に目を向ける。しかし彼にはそれを阻止する力がないし、抗議の声を上げることさえ出来ないでいる。そこで、彼は死者にすがるのである。
<・・・・そこでひとつ頼みがある。
ひとつ化けて出てくれ。
あれから十三年、
あんなひどい目に会わしておきながら、
また兵隊なんていやな商売をつくろうとしている奴んところに化けて出てやってくれ>
時代に対する怒りを仲間に伝えているうちに、大岡は段々元気になってくる。彼は弱々しく死者に訴えていたそれまでの態度を変えて、死者たちに、これから一緒に戦っていこうではないかと呼びかける。
<とにかくなんでもやってみることだ。
みんなでコツコツやって行こうじゃないか。
二度とおれ達みたいな、あんな目に、
子供や孫は会わせたくない。
そうではないか、おーい、みんな・・・・・>
そして心情を存分に吐露したのちに、この長詩は次のような言葉で終わっている。
<しかし「銀河丸」が出るといえば、
お前のかみさんは桟橋へかけつけ、
「銀河丸」が沖へ小さくなって行くと、
桟橋でぽろぽろ泣いていたんだ。
そしておれだってこれを書きながら、泣いている。
わあわあ声を出して泣きたいのを我慢しているんだ。
ちょっと、中だるみで、理に落ちたが、
おれの言葉を受けてくれ。
たすけてくれ>
唐突に飛び出してくる最後の一句、「たすけてくれ」を理解できるのは戦中派だけではなかろうか。社会全体、国全体が反動化して行くのを、老いさらばえた戦中派は歯がみをして見守っているしかないのだ。
安倍首相らは、「戦後レジーム」を否定して、戦前の「美しい国、日本」に戻そうとしている。戦前の日本のどこが美しかったというのだろうか。血盟団事件、5・15事件、2・26事件と続き、首相以下、政府・実業界の要人が年中行事のように暗殺され、気候が不順になれば東北の農民は生きるために娘たちを泣く泣く売笑婦として売り飛ばしていた時代なのだ。あの頃、知能劣等な学者が、右翼と結んでライバルの学者を自由主義者、英米主義者と呼んで蹴落としていたから、学界と論壇は阿呆の画廊のようになっていたのである。
安倍首相は、戦後生まれのお坊ちゃんで実情を知らない。だから、祖父岸信介が高級官僚として閣僚として君臨していた戦前・戦中の日本を理想郷のように思いこんでいる。だが、軍国日本の渦中に生きてその実態を知る人間は、戦前を美化する安倍首相らのウソ八百には体が震えてくるほどの怒りを感じるのだ。
しかし時代の流れは、いかんともしがたい。山田風太郎のように、「無駄な抵抗はやめなさい」とわが身を慰撫するか、織田信長のように、「是非もなし」と諦めるしかないような気がする。
私たち戦中派は、大岡昇平とともに戦争で死んだ数百万の同胞の霊に向かって、「たすけてくれ」と懇願しなければならないのだろうか。