甘口辛口

女子高生の手記(その5)

2007/6/3(日) 午後 0:20

「分校の生活」   

私の家は伊那谷の奥の奥にある過疎地にあった。
昔から平家の落人部落とされていて、小松という姓の家が大変に多い。
そんなところだったから、学齢期が来て分校に入学したのは、女の子二人だけだった。その一人が私だったわけである。

分校で勉強するのは四年生までで、それより上は本校に通うことになっていた。
私が入学したとき、生徒は全員で12名、それが二つの教室で二人の先生から授業を受けていた。いわゆる、複式授業だ。私たち一年生は、二年生と一緒に同じ教室で勉強することになった。先生は私たち一年生に話をした後で、次は横を向いて二年生を教え始める。その間、私たち一年生は、二年生の授業を半分聞いて、半分は遊んでいるのだった。

校庭はちっぽけだったから、体育の時間は校外に出てすることが多かった。
水泳を学ぶプールは、分校の近くにあった水車小屋の水溜場を改造したもので、なにしろ沢水をせき止めただけだったから、真夏でも水はふるえあがるほど冷たい。おまけに底が浅いから、飛び込みなどとてもできない。

冬になると、体育の時間を二時間につなげて近くのスキー場に出かけた。田んぼに水を張って凍らせたスケートリンクで、スケートをすることもあった。スケートはもちろん「下駄スケート」である。私たちは、毎日自然児のように活動していた。ウサギを飼ったり、焼き物をしたり、いつも体を動かしていた。

冬季の分校生活では、ストーブのまわりに机を集めて版画やソロバンをやったことを覚えている。習字も絵も音楽の合奏も、生徒数が少ないから手を取るようにして徹底してやらされた。

三年生になってから、女の子どうしの離合集散がはじまった。
四年生には女子二人と男子一人がいたが、この女子二人を加えて、女の子四人がいろいろな組み合わせでタッグチームをこしらえたのだ。二人の組ができると、残りの二人も組を作り、互いに相手チームを無視したり、悪口を言い合ったりする。そんなことをしているうちに、感情のもつれから、二人組が分解すると、相手の組もばらばらになり、新しい組み合わせが出来上がる。この一年間は、たえず組み合わせを変えては、女同士で火花を散らしていた。

いよいよ四年生になった。
私たち二人が全校に君臨するリーダーになったのだ。女の子がリーダーということになれば、遊びも自然に女っぽくなる。体育館で暗くなるまで集団ままごとをやったりした。

悲惨なのは男の子二人で構成されていた三年生だった。面白くもないままごとにつきあわされるだけでなく、私たち四年生のおもちゃにされたのだから。私たちは、二人のうちの一方だけを可愛がり、他方を無視した。そして可愛がられていた男の子がいい気になると、手のひらを返したように可愛がる相手を取り替えるのだ。小学校では、女の子の方がませているから、男の子がかなうはずはない。ずいぶん罪なことをしたものだ。

五年生になって、本校に通うようになった。
分校で複式授業を受けていた生徒の学力は、普通より劣るだろうと思うかもしれない。でも、私たち二人の女子は、本校に行っても負けなかった。分校にいた頃に、宿題など一度も出されたことはないのだが、個人指導が徹底していたからだと思う。

今ではあの部落の家数も十数軒になり、分校は廃校になってしまった。私の家も母屋と土蔵を現地に残したまま、今の住所に引っ越してきた。でも、あのちっぽけな分校で過ごした四年間は、時間がたてばたつほど私の心の中で輝きを増している・・・・心のふるさと。

(この手記の舞台になっている部落を訪ねた記事が、
https://amidado.jpn.org/kaze/home/heike.html
にある。写真は、この部落の入り口にある石碑で、「平家の里─浦村」と彫られている)