甘口辛口

女子高生の手記(その6)

2007/6/4(月) 午後 0:35
私は毎年生徒に「私の至高体験」という題で手記を書いてもらっていた。ここには、この題名で書かれた二編の手記を紹介する。

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             「満天の星の下で」

お盆に親戚の家に遊びに行っていたときのことだった。
おばさんに頼まれて、二人の従姉妹と赤飯を配りに行った。従姉妹に連れられて訪ねていったその家の貧しさに、私はびっくりした。夏の昼間だというのに、家の中は暗く、寒々とした空気が漂っていた。何より驚いたのは、障子という障子がまるで化け物屋敷のようにびりびりに破れていることだった。

その家のおばさんに赤飯を渡すと、おばさんは何度もお礼を言った。そして、汚れたエプロンのポケットを探って、百円貨幣を三枚取り出し、私たちに一枚ずつくれた。

その晩のこと、私は従姉妹二人と肝試しをすることになった。近くのお寺の墓場に出かけたのだ。もちろん、墓場には誰もいなかった。夜目に白々と浮かぶ墓石のなかに私たちの声が跳ね返ってくるだけだった。墓場のはずれの崖のようなところに腰を下ろし、見上げると満天の星だった。

私たちはおしゃべりをやめて、空を眺めた。眼下を見下ろすと、町の灯が見えた。これも、とても美しかった。しーんとした静寂に包まれて、空の星と眼下の町の灯を眺めているうちに、なんだか果てしもない幸福な気持ちになってきた。生きているってことは、すばらしいことだった。尊いことだった。

私は、ふと昼間訪ねた貧しい家のことを思い出した。
私は、あの家のおばさんや、あの家の家族を憐れんでいたが、あの人たちも素敵な人生をおくっていることはまちがいなかった。私は外見だけにとらわれて、誰もが素敵な人生を送っていることを忘れていたのだ。恥ずかしかった。

あの夜、私は生きることの尊さを初めて実感したのだった。





             「古い自分と新しい自分」

私にとって人生の最高の瞬間とはなんだろうか。
それは、私をたえず脅かしている不安から解放されたときだ。

私は、いつも何かにおびえている。私がいつも感じているのは、不安なのだ。
気がつくと、何かに追われているような気持ちになっている。
こんなことをしていてはいけない、もっと努力しなければ、向上しなければという気持ちにたえず責め立てられている。

高校に入ってしばらくの間は、こういう気持ちが頂点に達していた。まわりのみんなが、恐ろしかった。私は押しつぶされそうな気持ちで毎日学校に通っていた。

そんな気持ちに変化が起きたのは、いつだったろうか。
みんなに遅れまいと、必死になって勉強しているうちに、精神の転換点がやってきたのかもしれない。

私は自分が「自ら事を行う」ようになったことを感じ、それに自信を持ち始めたのだ。
自分は生きているんだ、自分はなすべきことを完璧にやっているんだ、という気持ちがわいてきて、毎日が楽しくなってきた。

私は、自分をしっかりつかまえていると感じた。そして、それまでの弱い自分を駆逐する快感を知るようになった。

自分をしっかりとつかまえる事に成功した私は、その自分を目標に向わせ、思うように動かすことができた。自分の中に新しい自分が生まれ、それが古い自分を支配しているのだった。

しかし二年になった私は、だらだらと毎日を過ごすようになった。古い自分が、またあらわれてきたのだ。あの力強かった新しい自分は姿を消し、私は他人の目を気にしてこせこせ生きている。

こうなった今から考えると、私にとって最高の瞬間は、自分を完全に捕まえていた高一の頃の数ヶ月だったと思う。