戦前の日本の暗さを象徴しているようなところが、軍隊だった。そこは、古兵による新兵いじめや、上官への面従腹背などが横行する、モラルも何もない陰惨極まる世界だったのである。「戦後レジームからの脱却」を合い言葉に、戦前の日本を美化する安倍晋三やその取り巻き達を見ると、彼らをひとまとめにして軍隊に送り込んでやりたい気がしてくる。昔の日本のどこが美しかったというのだ。
だから、軍隊を舞台にした文学作品には、どうしても陰惨なものが多くなる。
軍隊体験を素材にした安岡章太郎の「遁走」にも、日本軍隊の実相がありのままに描かれている。しかし、読んでいても、不思議なことに、これまでの軍隊小説にあるような救いのない絶望感を感じない。安岡が自分の置かれていた軍隊と、そのなかに生きた自らの姿を正確に透視し、いわば「認識による現実からの超越」を達成しているからなのだ。
例えば、古兵による私的制裁に関する部分を覗いてみよう。
新兵達が、満州の孫呉に送られて暫くたったある日、安岡の所属する内務班の班長が怒り狂って剣持という新兵を殴りつけたことがある。剣持はひどい反っ歯のため、口を閉じることが出来なかった。その剣持に班長は、「口を閉じろ」と命じ、それがスムースに実行されなかったことで、班長は相手を殴り倒したのだ。
殴り倒された剣持が、鼻血を流しながら起きあがり、照れ隠しの薄笑いを浮かべていた為に、班長は馬鹿にされたと思いこんで狂ったようになった。剣持に対する彼の殴る蹴るの暴行は、班長が中隊長に呼ばれるまで続いた。
夜になると、新兵の全員が班長の助手をしている上等兵から制裁を受けることになった。班長があれほど怒ったからには、立場上、上等兵も全員に制裁を加えなくてはならなかったのだ。
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<食卓も椅子もとりのけられた部屋の中央に河西上等兵が立ち、全員が馬蹄形にとりかこんで、一人一人が進み出ては、両頻にスリッパの力いっぱいの殴打をうけてかえってくる。
はじめのうち、それは免疫のための予防注射でもされるような事務的な雰囲気だった。しかし一人殴られるたびに部屋の中は興奮した空気につつまれはじめた(「遁走」)。>
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その興奮した空気に煽られたのか、機嫌取りの新兵の一人が殴られる前に、「ありがたくあります」と礼を述べた。すると、それから後の新兵は、皆その真似をしなければならなくなった。安岡はそれを眺めているうちにいいようのない嫌悪を感じ、自分は決して礼を言うまいと決心する。
だが、どうしたことだろう。上等兵の前に進み出て、彼と相対した瞬間に、不意に相手への憐憫の情に襲われ、事前の決心とは裏腹に、「ありがたくあります」と叫んでしまったのである。
そして安岡は、このことがあって以来、殴られることへの恐怖感や屈辱感をなくしてしまう。すると、毎日がひどく退屈なものに変わったのだった。
安岡がほとんど毎日殴られるようになったのは、それからだった。 まわりの兵隊達は、安岡に「ヤル気」がないから殴られると見ていたが、彼自身はそうは考えていなかった。
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<すでに彼は以前から「ヤル気」をまるで持っていなかったことを、こころの底から自認せざるを得なくなった・・・・・「ヤル気」とは何か? それは愛国的情熱にもとづくファイティング・スピリットのようにいわれている。けれども、それはごく表面上の意味にすぎない。
実際は、ただの利己的な競争のことである。兵隊たちは、あらゆる点で他人よりも早く、利巧に、自分の有利な立場をきずいておこうとする。それが「ヤル気」である(「遁走」)。>
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私はこの辺を読みながら、大いに笑ったのであった。私も旧制中学から軍隊時代にかけて、実によく殴られていたのだ。なぜ殴られ続けたかというと、殴られているうちに殴られることへの恐怖感や警戒心がなくなり、殴られても平然としていたからだった。実際、力一杯顔を殴られても、大して痛くはないから、殴られることへの心理的な恐怖感がなくなれば、殴られることなど取るに足りない些事になる。
しかし殴る側からすると、殴られても平気な顔でいる人間ほど、腹の立つものはないのである。
中学3年生の時だった。後に評論家になった臼井吉見教諭に修身を教わっていたが、私は彼が教科書に記載されている詔勅の解説中にあくびをしたらしかった(自分ではあくびをしたかどうか記憶になかった)。それで授業が終わると、職員室に連れて行かれ、そこで他の教師が居並ぶ中でぽかぽか殴られた。今から考えれば、国士気取りで毎日を過ごしていた彼は、一種のパフォーマンスとして他の教師らが見守る中で生徒を殴って見せたに違いない。
教師に殴られるのはいつものことなので、私は臼井教諭の顔を黙って見ていた。そして、暫くして相手が殴ることを止めたので、黙って職員室を出て行った。その日の午後だったか、体育の時間に体育教師が私に話しかけてきた。
「お前、臼井先生に何で謝らなかったんだ」といった後で、「お前の殴られっぷりは、なかなかよかったぞ」と褒めてくれた。
軍隊でも、毎日のように殴られた。やがて、戦争が終わったとき、何時も私が殴られるのを目にしていた別の分隊の兵隊がわざわざ私の所にやってきて、「あんたは、利口だったよ」という意味のことを言った。彼は私が敗戦を見越して、上官への不服従の態度を取り続けたと錯覚したのである。
私は教師に対して、そして上官に対して、反抗的精神を持っていたいたわけではない。だが、周囲の人間は、そうは取らなかったのである。
今にして思えば、安岡章太郎がいうとおりなのであった。私が殴られ続けたのは、「他人よりも早く、利巧に、自分の有利な立場をきずいておこうとする『ヤル気』が不足していた」からだったのである。
(つづく)