(安岡章太郎)
スキャナで本の中味をパソコンの中に取り込み、それをディスプレイ上に拡大して読むことをつづけている。はじめ読みづらいと感じていた平野謙全集も、今ではテンポよく読み進めて一冊目を読み終わり、目下、二冊目に取りかかっている。
私のように「文学部」を出ていない人間の日本文学に関する知識には、かなり偏りがある。第一、私は森鴎外や漱石を愛読しながら、島崎藤村の作品を一冊も読んでいないのである。中学時代に芥川龍之介のファンだったけれども、谷崎潤一郎を読んだことはほとんどない。こんな調子で、日本の作家について穴だらけの知識しか持っていない人間にとっては、評論家の作家論を読むことは簡にして要を得た即製知識獲得法になっているのである。
私はあまり人が読まないといわれる新聞の社説欄を愛読している一人だが、それも時事問題に関する「簡にして要を得た即製知識」が得られるからなのだ。
さて、そんな意図から平野謙の作家論を読み進んで、「安岡章太郎」の項にさしかかったときに、以下のような文章にぶつかったのである。
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< 安岡章太郎の年譜をみると、彼はすでに中学一年の三学
期に、成績不良、素行かんばしからざる故をもって、担任
の先生の禅寺にあずけられ、中学三年の二学期まで 「読経
の声、木魚、鐘の音」 から解放されることがなかった。
そこから解放されたのもカイシュンの情いちじるしきものが
あったためではなく、肋膜炎まがいの病気のせいにすぎな
かった。爾来、彼は学業を放擲した映画通の不良学生みた
いになりさがり、中学卒業後は高校入学試験に失敗して、
三年間も浪人生活を余儀なくされ、銀座うらのコーヒー店
や浅草のレヴユ小屋や玉の井などをうろつくこととなる。
その間、永井荷風や谷崎潤一郎の小説を耽読する。浪人生
活三年後、慶応大学文学部予科に入学したが、予科二年か
ら三年にすすむとき落第したせいか、徴兵検査を受けて甲
種合格となり、翌年現役兵として入営すると、すぐさま満
第九八一部隊要員として北満孫呉につれてゆかれる。>
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昔、安岡章太郎の「海辺の光景」を読んだときには、安岡をめぐる家族関係に興味を感じた。安岡の母親は夫を毛嫌いしていた。そういう両親のもとに安岡は一人息子として生まれて来たのだった。私は漠然と彼の生育歴のようなものを知りたいと思っていたが、安岡の作品を読めば年譜が明らかにしているような低空飛行続きの彼の過去をすべて知ることが出来るらしいのである。
平野謙は、その安岡論の中に安岡自身の述懐も採録している。
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<僕の体の中のどこかには何か良くない虫がいるらし
い、どうもそうとしか思えないのであります。
何ごとをするにあたっても、これまで僕は成功した
ためしがほとんどありません。学校の成績はつねにび
りから十番以内でありましたし、入学試験とか入社試
験とかいえば必ず、と云っていいくらい落第でありま
した。
そのほか、恋愛でも、ちょっとしたことをたの
まれてする仕事でも、みんな失敗ばかりである。そし
てその失敗というのは、あとから考えるとまったく奇
妙なほどタワイないことばかりで、自分にとってはか
けがえのない運命の前に立たされているとき、どうし
てそんなことをしたのか自分でも合点の行かないよう
なことばかりでありました。
で、とうとう僕は自分の
体の中に虫が一びきいて、それが「わるさ」をするた
びに、たとえば肝腎のところでナマケてしまったり、
道の間遠った方へとっとと行ってしまったり、えらい
人の前で思ってもいなかったその人の悪口を云ってみ
たり、そんなことが起こるのだと信じるようになりま
した。>
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こうしてヘマばかりして、世の底辺を生きてきた安岡章太郎は、深沢七郎のように「下からの視点」を身につけるようになる。平野謙は、同じ評論家仲間の書いた安岡論を引用して、安岡の底辺からの目を説明している。
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<ミリオン・ブックス版『遁走』 の解説を、安岡章太郎と
おなじ「戦中派」に属する村上兵衛が書いているが、その
なかで、村上兵衛は説いている、「安岡の小説世界のおも
しろさは、人を神のような高みから見おろすのでなくて、
人間の足裏のような低いところから、逆に人間を見上げる
ところにある。・・・・」と。
ことごとしく大上段にふりかぶって、声高に天下国家を論ず
る姿勢などとはおよそ反対に、一見つまらぬことをボソボソ
としゃべっているようにみえて(安岡が)人間関係の微妙な急所
を誤たずおさえているのも、そのせいである。>
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「安岡章太郎論」を読了した私は、安岡への興味を押さえがたくなり、インターネットを通して安岡の全集10巻を注文した。それが昨日届いたので、早速、「遁走」を読んで見た。
(つづく)