(11人を生んだ元妻)
テレビで子沢山大家族の番組をいろいろ見てきたけれど、一番好感が持てるのは岩手県から奄美大島に移住した林下家の家族だった。林下家の主人である林下清志は、妻との間に四男四女の8人の子どもをもうけている。この8人の子ども達は、途中一年間の休みをはさんで、連続して毎年生まれてきているから、子供らは年子のオンパレードといってもいい。
ところで、毎年のように子供を産み続けた林下家の母親が、生後七ヶ月の末子を残して、突然家を出て行ってしまったのだ。父親の林下清志が、いかに困惑したか十分に想像できる。何しろ末子は勿論、その上の子も未だオムツが取れていなかったに違いないのだ。そして、その上には、幼稚園児、小学生子どもがぞろぞろと6人、ひしめいていたのである。
この日から、林下清志の奮闘が始まる。
幸いなことに、彼は自宅で営業する整体師をしていたから、仕事の合間に幼い子ども達の面倒を見てやることができた。こうして林下清志が超人的な奮闘をしているうちに、長女は高校に入学し、末子は小学二年になった。そして住まいも岩手県から奄美大島に移した。そんなときに、別れた妻が奄美に訪ねてきたのである。妻と正式に離婚してから、七年たったある日のことだった。
きっかけは、元妻が、「一度、奄美に遊びに行きたい」という手紙を林下によこしたからだった。父親がこの手紙のことを子ども達に告げたが、成長した子ども達は格別の関心を示さなかった。彼らは自分たちを捨てて家を出て行った母をまだ許していなかったのである。しかし、末子の女児と下から二番目の女の子は違っていた。母が家を出て行ったとき、二人はまだ乳幼児だったから、母親の記憶を全然持っていない。だからこそ、二人は未だ見ぬ母へのあこがれを強く抱き続けていたのである。
末子の女の子は、母からの手紙をタイムカプセルに入れて保存するといって、箱に入れた手紙を土の中に埋め、母親にあてて手紙を書いた。彼女は母が返事をくれるものと信じ、郵便配達が来る頃に外に出て手紙を待つようになった。だが、返事はこなかった。返事の代わりに、母親自身がいきなり奄美の林下家に姿をあらわしたのだ。
元妻の行動は、相変わらず突発的だった。これを迎えて林下清志は、「やってくれるじゃないの」とぼやくばかりだった。彼は悪夢を見ているような気がした。しかも彼女は、5才になる三つ子を連れてやってきたのだ。この三人の女児は、彼女が林下と離婚した後に生まれているから、別の男の子どもだと思われるが、テレビでは個人のプライバシーを尊重して、そのへんの説明を一切はぶいている。彼女は今、その男とも別れ、愛知県の春日井市で新聞配達をしながら三つ子を育てているのであった。
元妻と三人娘の一行を迎えた林下清志は、彼女が家に寝ることを許さず、近所の家に頼んで、彼女らを泊めて貰っている。一つ屋根の下に寝て、元妻との間に関係が再燃することを恐れたのである。あこがれの母親に会えた末子も、一緒について行って母の隣で寝ることになった。
元妻が無断で突然やってきたのは、実は、別れた夫との関係を修復するためだった。彼女は、二人だけになるチャンスを狙い、夜釣りをしている林下のところに行って、復縁話を持ち出すのである。
「あれかね、一緒に暮らせんかね」と彼女は、おそるおそる切り出した。「一緒に暮らすのは無理かね」
林下は、元妻の提案を言下にはねつける。その様子をテレビカメラが残酷に映し出す。
「当たり前だ、ボケ。なんでオレががまたお前と一緒に暮らさなきゃいかんのだ」
彼が元妻の提案に取り合わなかったのは、8人の子どもを残して姿を消した相手への怒りもあったろうが、ほかに彼女の主婦としての無能力に愛想を尽かしていたからかもしれない。成る程、家事が嫌いだった元妻も、独力で三つ子を育てなければならなくなって、何とか料理も出来るようになった。が、林下家の台所に立って、合計13人分のソウメンを作る段になると、彼女が用意したソウメンの束は、せいぜい3,4人の分量しかないのである。さらに彼女は皆で野外のキャンプに出かけるに当たって、何と炊飯器をもって行こうとするのである。
元妻は若い頃には、きれいな娘だったと思われる。器量に自信を持っている娘は、自分には何でも許されると思いこみ、実務的な一切に無関心で過ごすから、結婚後、恐るべき無能力な主婦になってしまうのだ。
元妻は、林下を説得するのに失敗し、あきらめて春日井市に戻っていく。そして、再び新聞配達の仕事に戻る。しかし、彼女は決して復縁話をあきらめてはいなかったのである。
何ヶ月かすると、彼女はあっさり仕事を辞めて、またもや奄美にやってくるのだ。
仕事を辞めるときに、新聞店の店主も仕事仲間のおばさん達も、こぞって元妻を引き留めている。
「頼りないな、大丈夫なの? 向こうに行って、断わられたらどうするのよ」
「復縁に失敗して、こっちに戻ってきても、仕事がないんだよ」
「せめて、出発する前に向こうに連絡しておいたらどうなの」
それらすべての忠告に目をつぶって、元妻は前回同様、いきなり三つ子を連れて奄美に姿をあらわすのだ。
テレビ局のカメラマンは、林下家を再訪する元妻の背後から、彼女を迎える息子らの表情にカメラを向け、「あれ」というような彼らの顔つきを映し出すのである。このとき林下清志は留守をしていて、中学生の息子が二人玄関に出てきたのだが、息子の一人は、「タイム」といって家の中に上がり込もうとする母親を制止している。
もう一人の息子も、合点がいかないような顔で、「何でこっちに来たの」と尋ねる。しかし元妻は、かまわずに家に上がり込んで、林下の帰りを待つのだ。
夜になって帰宅した林下は、元妻の顔を見るなり、「何しに来たんだ」と詰問する。そして、それ以上口をきくのもイヤだというふうに、寝具をかついで家を出て行ってしまう。
元妻はその後を追うにも、相手が何処に行ったか分からない。そこで息子に心当たりを尋ね、その行方を一緒に探してくれないかと頼む。すると、息子は、「(夫婦の問題に)俺たちを巻き込むなよ」と拒否するのだ。息子達も母親が憎かった訳ではない。けれども、父親の苦労を見ているだけに、母恋しさの感情をストレートにあらわすわけにはいかないのである。
いろいろあって、元妻は林下が旧公民館に布団を持ち込んで寝泊まりしていることを突き止める。それで彼女は、ビールと酒の肴を持参して元夫のところに話に行く。そして遠慮がちに復縁話をもう一度持ち出すのだ。
「みんなで一緒に住めないかなと思いながら、来たんだけど」
林下は、「勘弁してくれよ」といってから、「お前、三日ほどこっちにいたら帰れよ」と突き放してしまう。
だが、元妻と三つ子の女児が家に居座っているのを見ているうちに、林下の気持ちは少しずつ変わっていくのである。元妻の「復縁が無理なら、近くに住まわせてくれ」という言葉も、彼の心を動かしていた。林下は一人で公民館に寝起きしながら、考える。元妻は春日井市の仕事を辞め、何の成算もないまま、全ったき無力の状態で自分のところに転がり込んできたのだ。何とか見通しをつけてやらなければなるまい。
思案の末に、彼は次のようなプランを考え出す。
林下一家が今住んでいるのは、人口3百余の田舎だから、元妻が就職するような職場はない。としたら、奄美大島の中心都市である名瀬市まで出て、仕事を探すしかない。そこで林下は、名瀬市に整体院の分院を作り、そこに元妻と三つ子の女児を住ませたらどうだろうかと考えたのである。名瀬市の高校に入った長女は、高校付属の寄宿舎にいるから、彼女も分院に移り、それから次々に高校に入学することになるはずの下の子ども達もここから学校に通えばよい。
そう決めると、林下は元妻を伴って名瀬市に出かけ、手頃な借家を借りている。そして、現在、計画通りに事は運び、元妻は名瀬市に仕事を見つけて働きだしているという。
私はこの番組を見ていて、男と女の生態、その「生きざま」というようなものについて感じるところがあった。女がすべてを投げ捨て、身一つになって男の懐に飛び込んで行けば、男はそれを受け入れざるを得なくなるのだ。「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」という諺は、男女関係についての言葉かもしれない。
もちろん、相手の懐に飛び込んでいけば、すべての男が女を受け入れるわけではない。だが、女には、自分を受け入れてくれる男を見分ける直感のようなものが具わっているのではないか。元妻はその直感に従って行動し、当初の目的を達しつつあるのではないか。
──私は林下家の将来に対して、更なる興味を感じたのであった。