甘口辛口

古山高麗雄の面貌(その3)

2008/1/30(水) 午後 0:42
<古山高麗雄の面貌(その3)>

・・・・・村落の方向から一発の弾丸が飛んできただけで、あとはひっそりしている。それで村落を包囲していた古山らは部落の中に入って、家々から住民を追い出しにかかった。日本軍の憲兵も駆けつけて来る。憲兵らは、一カ所に集めた20人ほどの住民の中から3人の女と5人の男を引っ張り出して縛り上げた。彼らがゲリラのメンバーらしかった。

住民の処分が一段落したため昼食をとることになり、その間、古山は3人の女の監視を命じられた。班長の言いぐさは、「おめえは、女が好きだべ。みんなの飯がすむまで見張っとれ」であった。

班長は古山が女を縛り上げた縄をいじっているのを見て、「なにやっとる」と怒鳴った。古山は、「縄がゆるんでいないか、確かめているのであります」と答える。たが、実は女たちの手に食い込んだ縄を緩めてやっていたのだった。

やがて、班長は兵隊たちに、「この村は焼いてしまうから、ほしいものがあったら、今のうちに盗ってこい」と言い、その後で「行きたくねえやつ、いっかあ」と尋ねた。その場に何人かの監視要員を残しておかなければならないからだった。古山は、「自分は残ります」と残留することを申し出た。

だが、これが藪蛇になったのである。その場に残ることを申し出たために、彼は憲兵を手伝って女を拷問する羽目になったのだ。憲兵が言うには、縛った3人の女のうちの一人はゲリラの首魁の情婦だから、是が非でも彼女の口から首魁の行方を白状させなければならぬというのである。

古山は憲兵の指示に従って、女を縛っている縄を近くの木の枝に引っかけた。そして、憲兵の手伝いをして、女を1メートルほどの高さに宙吊りにし、それから憲兵に言われるままに、吊り上げた女を空中でブランコのように突き動かしはじめた──

古山高麗雄が「白い田圃」の作中にこうした場面をわざわざと書き加えたのは、同書のなかで自分をあまりかっこよく書きすぎたと感じた為だった。彼の兵隊小説は、総じてこうした書き方になっている。彼は、作品に仲間の兵士を登場させる。そして、仲間との比較において自分がいかにドジな兵隊であったかを誇張して書き込むのだが、実際のところは、彼が仲間の上に立ち彼らをリードしていたに違いないのだ、学生時代に安岡や倉田をリードしていたように。

中島敦も、作品の中で自身を腺病質の弱者として描いていた。だが、女学校教師をしていた頃の同僚によると、彼は職員室では教員仲間のリーダーであり、みんなの活力の源泉だったという。作家は誠実であろうとして、自身を実質以上に卑小に描く傾向があり、古山高麗雄もそうした一人だったのである(中島敦については、https://amidado.jpn.org/kaze/home/atushi.htmlを参照)

古山高麗雄が現実に軍隊においてどのような存在であったかは、「プレオー8の夜明け」を読めば明らかである。

彼はまだ日本軍が優勢であった頃、捕虜収容所の看守の役割を命じられた。その時、フランス軍の軍医を殴ったという理由で、戦後に戦犯収容所へ送られたのだった。そこには、彼のような兵卒から、陸軍中将や大佐などにいたるまで、あらゆる階級の軍人が収容されていた。この収容所がプレオー8なのである。

戦犯の容疑者70名が狭い獄舎の中に押し込められていると、今まで高圧的な態度で部下にのぞんでいた中尉の性格が急変して女性化し、女言葉を使うようになったりする。「プレオー8の夜明け」は、そうした収容所内の光景を冷徹に描いている点で、大岡昇平の「俘虜収容所」を思わせるのだ。

軍隊の階級制度が半ば崩壊した異常な環境のなかで、古山はこう考えるようになる。

<監獄には何もない。ぺたっと打ちしお
 れているだけではしょうがない。だから、何かできること
 があったら、育てよう。少しでも楽しいことを考えだし
 て、やっていこう(「プレオー8の夜明け」)>

皆を喜ばすために破天荒なことをやってみせるのは、習い性となった彼の特徴だった。彼は、安岡や倉田の前で食い逃げをして見せたのと同じサービス精神から、所内の男たちのために一肌脱ぐことになる。

<パンの白いところを、みんなか
 ら少しずつ供出してもらって、ちょっぴり水を加えてこね
 て、麻雀牌を作ったのもそうだ。将棋の駒も碁石もパン
 で作った。トランプや花札も作った。バナナと黒砂糖で酒
 も作った(「プレオー8の夜明け」)>

そして彼は自分で台本を書いて、芝居を上演するまでになるのだ。役者は上官たちを含む収容所の戦犯容疑者たちであった。これは収容所内の全員から熱烈な歓迎を受け、毎週土曜の夜に定期公演されるようになった。古山はそのために毎週新しい台本を書き、蚊帳の中で役者たちに稽古をつけた。このほかに、彼は自分で作詞した歌を、仲間に作曲させて、歌謡曲発表会を開いている。

毎週上演される芝居のスターは、トヨちゃんという補助憲兵で、トヨちゃんがまるめたタオルで胸をふくらませ、顔を歯磨き粉で白く塗り立て、赤チンで唇を染めて舞台に現れると、所内の空気は一変した。たちまち熱っぽいホモの気配が立ちこめ、「ペニスを勃起させる奴」が続出することになる。トヨちゃんの人気は爆発的になり、皆に追い回されるようになった。

そのトヨちゃんが古山のところにやってきて、「俺、隣に寝てもいい?」と尋ねたのである。「ああ、いいよ」と古山は答えて、二人は抱き合って寝るようになった。古山はここで男同士の性生活を体験している。

ホモ社会で一番人気のある女役は、けっして自分を安売りしない。グループのボスを選んで、その情婦になるのだ。古山高麗雄は並み居る将校らを差し置いて、トヨちゃんに選ばれたのである。

古山は自筆の年譜にこう書いている。

< 昭和22年27歳四月、裁判を
 受けたが禁錮八カ月の判決であった。未決通算によって裁
 判の翌日釈放され、以後半年、カンホイの収容所で復員船
 を待つ。十一月、復員>

彼の刑が軽くて済んだのは、理由があってフランス軍の軍医を殴ったからだろう。その軍医はフランス兵の間にアメーバー赤痢などが流行しても治療を部下のフランス衛生兵に任せきりで、自分は何もしようとしなかったのだ。

復員後の古山は雑誌の編集者を経て、作家になった。

作家としての古山について、柄山行人は「彼が仮借ないのは自分自身に対してだけであって、他者に対しては母性的な態度で接している」という意味のことを書いている。事実、戦場での彼の行動には、人をハッとさせるような優しさがあったのである。

「白い田圃」には、班長が部下に略奪を許可する場面があった。それを断って居残ることになった古山に仲間の兵隊が、「欲しい物があったら、盗ってきてやるぞ」と声をかける。すると、彼は写真を取って来てくれと頼むのだ。たいていの民家には、家族写真が額縁に入れて大事そうに飾ってあったのである。

戦争が終われば、村民たちは新たに家を建て、家財道具をまた買い入れることができる。しかし、燃えてしまった家族写真を取り戻すことはできない。それで彼は、仲間が集めてきた写真を、村民に返してやろうと考えたのだ。

作家活動に入った古山は、執筆の便、道楽の便を考慮して、妻を神奈川の自宅に残し自分だけ東京都内のマンションで暮らすようになった。彼は、育児を始め、家事一切を妻に押しつけ、妻をまるで家政婦のように扱ったのである。汚れた下着も自宅に送りつけて妻に洗濯させていた。

その彼が妻に死なれると、ただうろたえておろおろし、それ以後抜け殻のようになってしまう。亭主関白に見えた彼は、実は妻に子供のように頼り切っていたのである。だから、妻の死なれて、彼は生きる力をなくしてしまったのだ。

自分に厳しく、他者に対して優しかった古山にも、赤ん坊のように弱いところがあった・・・・ここに、古山高麗雄作品を読み解く鍵がありそうなのだ。