<人を殺したくない>
面白いテレビを見た。
戦争中の金子光晴一家を取り上げたNHK教育テレビ(ETV特集)がそれで、このなかに太平洋戦争中、金子光晴が一人息子を戦争にやらないために手練手管を弄する話があった。これが面白かったのである。
彼は兵役年齢に達した息子を喘息患者に仕立てて徴兵を免れさせようと考える。そこで、息子を応接室にとじこめて、ナマの松葉でいぶし、その後で洋書を詰め込んだリュックサックを背負わせ1000メートルを駆け足させたのだ。おかげで息子は徴兵免除になった。金子はこの息子と妻の森三千代を連れて、山中湖畔の茅屋に移り、ここで敗戦を迎えるのである。
戦争中に息子に、もう一度、召集令状が届いたことがある。この時には、金子は医者に酒一升を届けて「肺結核」の診断書を書いてもらい、今度は杉の葉で息子をいぶして検査をごまかしている。
同年齢の若者が特攻隊で死んでいるときに、こんな「卑劣な方法」で兵役を逃れるとは、何たることかという声もあるに違いない。しかし、丸谷才一の「笹まくら」も兵役忌避者を描いている。徴兵逃れには、このほかにもいろいろな方法があったのである。
兵役忌避を非難する人間は、戦争の実態も兵役忌避者の心情も理解していない。兵士となって戦場に出るとは、人を殺しに行くことなのだ。戦争とは、敵と味方の双方が殺人者になって、一人でも多く相手を殺し合うことなのである。
私は召集令状を受けたときに、いよいよ死ななければならぬ時期が来たかと思った。男には戦争に出て死ぬ義務があるらしいと漠然と考えていたから、反軍思想の権化だったにもかかわらず、兵役を忌避するなどということは考えもしないで軍隊に入ったのだが、今にして思えば私は戦争というものを正確に認識していなかったのだ。
「戦争に行く」というとき、その言葉には自分が戦場で倒れるという受け身のイメージがつきまとっている。人を殺しに行くという「積極的なイメージ」がなかなか浮かんでこないのである。だから、戦争になったら、国のために死ぬのだと、まず、自分が死ぬことを考える。戦争に行くのは、殺人者になりに行くことなのに、犠牲者として身を捧げる殉難行為のように考えて悲壮感に酔ってしまうのだ。
戦争に行くということは、殺し合いの場に自分も参加することだ──と戦争の実態を直視したときに、はじめて徴兵忌避の覚悟も生まれてくる。鶴見俊輔は、「絶対に人を殺すまい」という誓いを立てて、軍属として南方に赴いている。
金子光晴は、国家悪に対抗するには組織の力などではなく、個人の意志が必要だと考えていた。一人一人が権力に対峙する姿勢をとり続けるなら、国家もついに屈服すると考えていたのである。
平和論者が声を嗄らして叫んでも、国は戦争をやめようとしない。しかし、男たちの三分の一でもよい、戦争の実態を直視して「良心的兵役忌避者」になれば、それだけでもう国家は戦争することが不可能になる。こういう方法でしか、国に戦争を止めさせる手段はないのである。
個人個人が権力に対峙することで世の中を変えようとしているアナーキズムを、非現実的と評する者は多いけれども、案外、この方法が理想社会建設の近道かもしれないのだ。