<「自死という生き方」の効用>(3)
自殺の原因は、いろいろある。事業に失敗したり、失恋したり、研究に行き詰まったりして自殺するのだが、そのメカニズムは次のように考えられている。
仕事に熱中するのも、異性を愛するのも、真理を探究するのも広義の攻撃欲求の表れであり、その欲求がいろいろな事情で阻まれると、エネルギーは反転して自己破壊欲求になる。つまり、外部に向けられていた攻撃的エネルギーを自分自身に向けて自殺するのである。
では、須原一秀の場合は、どうだろうか。
彼は若さを保つために闘いつづけたのだから、その闘いに敗れて攻撃的エネルギーを自己に振り向けたとしたら、彼の場合もエネルギー反転型の自殺ということになる。だが、疑問も残るのである。彼が戦おうとしたのは、老化という自然現象だった。人は人智をもってしては改変不可能な自然法則に戦いを挑むような愚かなことをするものだろうか。
容貌の美しさによってモデルや女優になっていた美女たち、そして強健な肉体を武器に活躍していたアスリートたちも、年を取れば自然の法則に従って老化する。もし、彼らが老化阻止のために闘い、闘い敗れて自殺するかと言えば、そんな話は一向に聞かないのである。彼らは、年を取れば衰えることを自然現象と考えて受け入れている。だから、若返りに挑戦して敗北したとしても、自殺するようなことはしないのである。
もし、三島由紀夫の自殺が老醜嫌悪の自殺だったとしたら、これは希有の事例に属する。須原一秀の自殺も、三島並みの希有の事例だったのだろうか。どうも彼の死には、腑に落ちないことが多すぎるのである。
けれども、「人生の高、自己の高」を知ることが死への導火線になるという彼の理論は信じられような気がする。おのれの「高」を知るということは、実に大きな影響を与えるものなのだ。「高」を知った人間が、「自分離れ」を起こして生き方を変えてしまう例はいたるところにある。
一般に定年退職して数年すると、人生の実質・自己の実質がありありと見えてくるものだ。それまでは、人間の一生を謎や神秘に満ちた複雑微妙なものと思っていても、「高」を知れば、生きるというのは、こんな程度のことでしかなかったのかという拍子抜けの気持ちになる。そして以後は、醒めた目で自他を眺めるようになるのである。
成功した人生であろうがなかろうが、人間の一生は誰のものでも大した違いはない。
長くても百才という限られた時間枠の中で、全員が同じような欲望を抱き、同じようなことをして、同じように死んでいく。人は、犬や猫を眺めて、多少の差はあっても彼らが皆同じような一生をたどることを知っている。「高」を知れば、犬・猫の一生を見ると同じ目で、人間の一生を見るようになるのだ。ビル・ゲイツも、天皇も、ヒラリー・クリントンも、そして近隣の人々も、みんな同じ身の丈をした同等・等質の人間なのである。彼らは、同じような段階を踏んで成長し、同じように生きて、同じように死んで行くのだ。
すべての人間を同等の存在と見るようになって、初めて「自分離れ」が可能になる。自分を特別視しないで、自分をも「その他大勢」の一人としてとらえるから「自分離れ」が可能になるのだ。
「自分離れ」した人間は、「もう自分のことはいい」と態度転換を試み、世のため人のためにボランティア活動に励んだり、一文の金にもならない趣味の世界に没頭したりする。個に執着することを止め、まわりの無名の人々の間に紛れ込んで生き、やがて到来する終わりの時を静かに待つのである。「高」を知れば、おのずと売名行為を避け「無名化」のコースを選択するようになるのだ。
ところが須原一秀は、「高」を知ることの重要性に気づきながら、「高」を知れば自らの特異性を保持するために自死を選ぶようになる筈だと言い出すのである。彼は「高」を知るという言葉を、自己および社会の総量・全容量を知る、つまり自己および社会の実相を知るという意味で使っている。自己の実相を知ったら、自分を過大に評価することを止めて謙遜になるのだが、彼は逆に自分の個性や主体性を確保するために自殺を願うようになるというのである。
彼は、65才を正常な知力・体力を保持できる限界年齢と考えて、この年齢になるのを待って自殺したように見える。しかし、私の経験からすると、知力・体力が最高の状態になるのは退職後60才から75才までの15年間で、その後も体力は別として頭の働きの方はさほど落ちるわけではない。にもかかわらず、須原は65才で人生に終止符を打ってしまった。あまりにも早すぎる見切りといわざるを得ない。
須原一秀の死は、自殺のための自殺であり、自説を証明するための哲学的プロジェクトだったと理解すれば、彼の死にまつわる疑問はかなり解消する。しかし腑に落ちない点はまだたくさん残っている。関係者が明らかにしない事実も多いと思われるが、だからといって、彼の死から学ぶべき点がないということにはならない。私は、彼の著書を読んで、大いに得るところがあったのである。
最大の収穫は、事故死を恐れる気持ちがなくなったことだった。
自分が高所恐怖症だということに気づいたのは、30代の後半、子供をつれて動物園に行き車輪型の回転展望車に乗ったときだった。座席が空中高くに浮かび上がった瞬間に、私は説明のつかない恐怖に襲われた。退職後、三浦梅園の生家を訪ねるために飛行機で九州に出かけたときにも、機上で強い恐怖を感じた。高所恐怖の原因は明白であって、心の中で当人は事故死を恐れているのである。
私は須原の本を読んでいるうちに、事故死も病院での死も同じであり、一瞬のうちに片が付くという点で、むしろ事故死の方が望ましいと思うようになったのだ。もちろん、事故で半身不随になったり、手足をもぎ取られたりする不運もある。そうした不運を勘定に入れても、病院で長い間オムツを当てられて死んで行くよりは、事故死の方が未だましだと思うようになったのである。
あえて不慮の事故死も拒まないという心境になってみると、成る程、葉隠武士の心持ちがおぼろげながら理解されてくるのである。彼らは、「何時でも死を迎えられる平静さ」を持っていたといわれる。われわれが不慮の死も病死も差別なく受け入れる心境になれば、葉隠武士の平静さに接近できるのである。
しかし葉隠武士並みに、「何時でも死に得る平静さ」を身につけたとしても、それと自殺が直ちに結びつくとは思えない。葉隠武士式覚悟からは、自殺ではなく安楽死という選択が出てくるのではなかろうか。死を覚悟して日常生活を平静に過ごしてきた者は、いまわの際にも平静を保つために、安楽死を選ぶのではなかろうか。オランダでは、安楽死が公認されている。わが国がまだそこまで行っていないとしたら、自殺は自殺でも餓死を選べばいいのである。