<餓死願望>
フロッピーディスクに残っている「パソコン通信」ログを読んでいたら、昔、自分の書いた次のような文章が見つかった。
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「一番星さんは、毎度心に残る話を紹介してくれます。
今回は釧路高原の雑木林の中でミイラ化して死んでいた男性の話でした。何でも、68日間断食して、その間、手帳に日記を付けていたそうですね。この男性は絶命するまでに相当苦しんだらしいと一番星さんは書いています。
この話を紹介する前に、一番星さんは、死期が迫った時に断食して自身を枯らして、安らかに死んでいく高僧の話を書いています。断食して安らかに死んでいくことができるかどうか、一番星さんは、どうもそんなにうまくは行かないかもしれないと締めくくっています。
私の経験によると、当人が病気で弱っているなら、うまくいきそうな気がするのですがね。小生は以前、季節の変わり目ごとに胃痛を起こし、ほかに方法がないのでこの間絶食することにしていました。飲まず食わずでいると、体重が1日に1キロずつ落ちていきます。しまいには尿もほとんど出なくなり、たまに出る尿はコーヒーのような色を呈するようになります。
こういう状態を1週間続けていると、夜も昼もない薄明の世界に入るのですね。
一日中、ウツラウツラしている。奇妙なイメージが浮かんできて、それが頭にからみついて離れなくなります。残念ながら、高僧の頭に浮かんでくる極楽浄土のイメージというわけには行かないけれども、人生の真実を具象化したような奇妙なイメージが次々に浮かんでくるのですよ。
絶食1週間で、大体胃痛は収まるので、それからパン粥などを食べるようになり、回復に向かいます。しかし絶食をそのまま続ければ、後10日もすればあの世にいけそうな気がしましたね、何の苦痛もなく、何の未練もなく」
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私は、「自死という生き方」の項で、自殺するなら縊死や飛び降り自殺ではなく、餓死がいいのではないかと考え、絶食して死ぬことを推奨してきたが、この時には昔書いた上記の文章のことなど全く忘れていた。
上記の文章は、「頭に残る話」という題名で私がアップした記事の一部で、パソコン通信を暫く休んでいる間に所属しているボードへの書き込みがたくさんあり、そのなかに印象に残る記事がいくつかあったので、「少し間をおいてここに戻ってきたら、大量の書き込みがあるのに驚きました。それらを読んでいて、いくつかの話が頭に残りましたよ」という書き出しで、この「頭に残る話」という題名の文章を書いたのであった。
上記の餓死の話のほかに、私がどんな記事を印象に残る話として引用しているか、あげてみよう。パソコン通信では、いかなることが話し合われていたか、その具体例になると思うからだ。
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「メテオリットさんの紹介している話に、フランス中西部のオラドウル村の悲劇があります。この村は、ナチスの襲撃を受けて壊滅状態になり、数時間のうちに600余名の村民中、7人の生存者しか残らなかったということです。
オラドウル村は、今は廃墟になって当時のままの姿を残しているそうです。ここを年間30万人の見学者が訪れるている由、この村のことを全く知らないでいた私には粛然とするような・・・いや、恐ろしくなるような話でした」
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「世之介さんが紹介しているのは、フィクションの話です。『エンド・オブ・サマー』という作品に、交通事故で両親を失った12歳の少年が水たまりを友とするようになったという話が載っているということですね。
水たまりを友とする──とても印象的な挿話でした。小生が若かった頃の文学青年にはリルケを熱愛するものが多かったけれども、これなどはリルケが喜びそうな話です。水たまりは暫く空の雲を映し、やがて消えて行くのですね、別世界からの使者のように」
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パソコン通信は、こんな調子でメンバーが自由に感想や意見を寄せ合うから、アゴラ(広場)を思わせる。これに比べると、ブログはメンバーの一人一人が自分だけの店を開いている点、専門店街にたとえられるかもしれない。
パソコン通信は、万人が自由に発言できる広場だから、しばしば白熱した議論や、議論という寄り罵倒合戦が始まったりする。私は口の悪さでは人後に落ちないから、相手方の神経を逆撫でして集中砲火を浴びたこともある。私への罵倒に共通しているのは、私がジジイであることに対してだった。
「あんたのハンドルネームはなんだい。ジジイのくせに『風の子』かよ」
「孫を相手に、縁側で自慢話でもしているがいいさ」
私がハンドルネームを「風の子」としたのは、パソコンを始めたばかりで、まだ、日本語の文字変換に慣れていなかったからだった。平賀源内を愛していた私は、パソコン通信を始めるに当って平賀源内のペンネーム「風来山人」を借用することにしたのだが、「風来」も「山人」もすぐに変換することが出来ず、「風の子」としたら一発で漢字に変換できたので、これを名乗ることにしたのである。
その後は、ハンドルネームを何度も変えている。70才になったときに、「古机」という名前にしたのは、「古希」をもじったからだった。その他、ポン太とかZZZとか空蝉とか気分次第で名前を変えているうちに、こちらを女性と思い込んだ人が現れたりした。私は、自分が中身の空っぽな人間であるという意味で、「空蝉」としたのだったが、相手は「源氏物語」の空蝉から連想して、こちらを平安朝の美女みたいな女性だと思いこんでしまったのだ。
──さて、私が冒頭の餓死に関する書き込みを完全に忘れていたにもかかわらず、「自死という生き方」の項に餓死を推奨する文章を書いたのは何故だろうか。無意識の中に眠っていた記憶が偶然浮上したためだろうか。
興味のある話を読んでも、単に読み過ごしただけでは、それが潜在意識に痕跡を残すことはない。その面白い話によって情動が発動するか、あるいは思考力が動き出すかしなければ、記憶として脳裏に刻印されることはないのである。
私は一番星さんの書き込みを読んだとき、問題の餓死者が成功したのは北海道の果てにある釧路高原の雑木林の中を死に場所に選んだからではないかと思った。そうした場所だったから、絶命するまでに二ヶ月かかっても、他人に発見されることはなかったのだ。
では、自分が餓死を選ぶとして、周囲にそんな具合のいい山林があるだろうか。道なき道を這い上がって、南アルプスの頂上近くまで行けば適当な場所があるかもしれない。だが、こちらにはそんな体力はない。
ふと、バイクで谷の奥や僻地を訪ね歩いているときに、いたるところに廃屋があることを思い出した。夏場だと、好奇心に燃えた若者や子供が廃屋の中を覗きに来ることがあるかもしれない。が、冬になって雪でも降れば、ぼつんと孤立した茅屋は墓石のように取り残されて誰も近づく者はないはずだ。
いや、わざわざ人の近づかない廃屋を探す必要もないかもしれない。集落からさほど遠くない林の中などに廃棄物と一緒に古自動車が捨てられている。車体はぼろぼろに錆び、窓ガラスも無くなっているが、人間一人が内部で餓死できるだけの空間はあるのだ。
私は一番星さんの書き込みを読んだ後で、そんなことを考えたから、餓死の問題が頭に残ることになったのである。しかし安楽死がちゃんと法律で認められるようになれば、わざわざ餓死しようとしたり、そのための場所を探す必要はないのだ。
わが国でも、そろそろこうした問題を検討すべき時期に来ているのではなかろうか。世界の潮流に反して平気で死刑制度を残している日本が、安楽死を道徳上問題があるとして触れることを避けているのは、何だかおかしいのである。