甘口辛口

「鬼畜」のような人間

2008/5/1(木) 午後 3:31

<「鬼畜」のような人間>


松本清張全集を購入する以前にも、時々、新書版の清張作品を買っていた。本の表題を見て興味を感じたときにだけ買っていたのである。例えば、タイトルが「鴎外の婢」「鬼畜」となっているような本だ。

「鬼畜」は残忍な殺人鬼を描いた作品だろうと思っていたら、案に相違して親が子供を殺す話だった。松本清張がこの作品を書いた頃には、親が我が子を殺すのは鬼畜の所業と見られていたのだ。しかし、今は小平義雄のような残忍な殺人鬼は見られなくなって、代わりに親による子殺しが急増している。松本清張がこの小説を書いた時代の感覚からすると、現代は鬼畜人間の氾濫している時代だということになる。

松本清張全集の36巻目に、「鬼畜」が載っていたので改めて読んでみた。

苦労の末に印刷屋を開いた竹中宗吉という男が、浮気するところから物語は始まる。浮気の相手は市内では二流の料理屋で女中をしている菊代という女で、宗吉の妻とは正反対のぼってりした色白の女だった。糟糠の妻は筋張った体つきで狐のように尖った顔をしていたのだ。妻は性格も険しく、宗吉はこの女房に完全に尻に敷かれていたのである。

宗吉が菊代を抱こうとしたとき、彼女は最初「だめよ」といって拒み、宗吉に将来も面倒を見ることを約束させてから身を任せた。宗吉は言質を相手に与えてしまったのだ。やがて菊代が家を持たせてくれと執拗にせがむようになったので、宗吉は自宅から一駅離れた隣町に家を借りて女を囲うことになる。

宗吉は女房に尻尾をつかませないで8年間菊代との関係を続け、彼女との間に3人の子供をもうけた。だが、近所の火事で印刷所が類焼するという不運にあったのをきっかけに、宗吉は急速に経済的に追いつめられ、菊代への仕送りを怠るようになる。すると、菊代は三人の子供を連れて宗吉の家に乗り込んでくるのだ。宗吉、妻、愛人、三人が顔をつきあわせて談判が始まった。

宗吉は二人の女に挟まれて、身の細る思いだった。今後どうするか決着がつかないままに、その夜、菊代ら四人は宗吉の家に泊まることになった。夏のことで蚊帳が必要だったが、宗吉の妻は菊代らを蚊帳のない板の間に寝かせた。蚊に責め立てられて輾転反側しているうちに、菊代の怒りが爆発した。

「畜生」と菊代は叫んだ、「お前たち夫婦は鬼のような奴だ」

菊代は三人の子供をその場に残して、いきなり家から飛び出して姿を消してしまう。

──松本清張は、「九十九里浜」という短編にも、これと同じような場面を描いている。夫の浮気相手が、赤ん坊を連れて家にやってきたとき、妻は母子を畳の部屋に寝かさず板の間に寝かせるのだ。松本清張がこういう場面を繰り返し書くのは、これに似通った状況をどこかで見聞していたからだろう。清張作品のリアリティーは、社会の底辺で彼が実際に見聞したことを下敷きにして執筆しているところからきている。

宗吉は菊代の残していった三人の子供を引き取ることになったが、妻が知らん顔をしているので、仕事の合間に彼が面倒を見なければならなかった。一番手数のかかるのが、まだ二歳の末っ子だった。宗吉はこの子を三畳間に寝かせて、子供の具合が悪くなると自分で粥を作り布で漉して飲ませてやっていた。

ある日、宗吉が子供を見に行くと、二歳の男の子は顔に重みのある粗悪な毛布をかぶって死んでいた。彼は子供を窒息死させたのが妻お梅の所作だと直感する。

<子供の死んだ夜、お梅は、はじめて宗吉に挑んだ。菊代
のことがあって以来、絶えてないことである。それも、お
梅は異常に昂ぶっていた。

おかしなことに、彼女は身体を執拗に宗吉に持ってきた。
これも今まで彼が覚えていないことだった。彼は知らぬこ
とを知らされた思いがした。彼は昂奮して溺れた。二人の
心の奥には、共通に無意識の罪悪を感じていた。その暗さ
が、一層に陶酔を駆り立てた。そして、その最中で、お梅
は宗吉に或ることの実行を迫った。宗吉は、うなずかない
わけにはいかなかった(「鬼畜」)>

宗吉は妻にせかされるままに、次に4才になる娘を東京に連れて行ってデパートの屋上に置き去りにして帰って来る。その夜も、妻は昂奮して宗吉に挑んできた。子供の始末がつくたびに妻は燃えるのだった。

最後に残ったのは7才になる長男だった。宗吉の妻は、この子を一番嫌っていた。

「気味の悪い子ね。大きな目をぎろぎろさせて、何を考えているか分からない」

宗吉は妻の用意した青酸カリを長男に飲ませようとするが失敗し、ボートを転覆させて溺死させる計画にも失敗、最後に伊豆の西海岸に出かけて断崖から突き落として殺そうとする。そしてこれにも失敗して警察に追求されることになるのだ。

この陰惨な小説は、「警察の捜査が始められた」という言葉で終わっている。

「鬼畜」を読み終わって感じることは、最早日常茶飯事になっている親による子殺しも、この作品にあるような力関係のもとで行われているだろうということだ。男と女のいずれかがイニシャティブを取り、一方が他方に引きずられるようにして凶行に及んでいるのである。

事件が発覚すれば、男女は共犯関係になる。だが、一番哀れなのは、従属的な立場で事件に関与した人間ではなかろうか。「鬼畜」でいえば、宗吉が最大の被害者ということになる。

私は、次は「鴎外の婢」を読み直してみようと思った。