甘口辛口

わが老耄日記

2008/5/15(木) 午後 7:15


 (上の写真は書斎の機器、下の写真は寝室の機器)  


<わが老耄日記>

退職して「畑の中の家」に移ってきてから、はや20数年がたつ。
移ってきた当時は、まわりは文字通り畑ばかりで、家の周辺に立木らしいものは一本も生えていなかった。二階の六畳間と八畳間二部屋も、裸同然で最低限の家具しかなかった。六畳の洋室には、机と小型テレビがあるだけ、八畳の寝室にはベットがあるだけだったのだ。

本を読むのに飽きると、洋室の窓を開けて目の前に拡がる天竜川を眺めた。その頃は護岸工事が始まっていなかったから、流れのあちこちに淀みが出来、生ゴミなどが溜まっていた。そこにカラスや鳶が餌をあさりにくる。カラスが知恵をこらして鳶を餌場から追い出すのを見ていると面白かった。

それが二十数年の間にすっかり変わってしまったのである。まず、洋室の横に植えた樫の木が二階の屋根を越すほどに大きくなって、天竜川が見えなくなった。以前にガランとしていた洋室も、テレビ2台、パソコン2台が持ち込まれて身の自由もままならぬようになった。テレビとパソコンは寝室にも持ち込まれ、部屋を手狭にしてしまった。

何故こんなことになったろうか。

私は民放のドラマや歌番組を見ない代わりに、ドキュメンタリー番組や科学番組、美術番組、教育番組などを録画している。ケーブルテレビに加入して視聴可能なチャンネルが増えた結果、同じ時間帯に録画したい番組が三つも四つも並んでいることが多くなったからだ。

そこでビデオテープに録画するだけでは足らなくなり、パソコンを利用してHDDに録画することになったのである。そのうちにDVDレコーダーが出現する。TVにはビデオカセットのほかにDVDレコーダーが繋がれることになり、上掲の写真のように新しい映像機器が上へ上へと積み重ねられ、椅子に座ると目の前が機械装置で断崖絶壁のようになってしまった。

こんな調子で、ビデオテープ、DVD−R、HDDに録画が集積されると、これを全部見るだけで何年もかかることになる。事実、私が現在再生して眺めている録画は、ほとんどが二年前、三年前のものばかりだ。だが、昔の録画を見ていても、古いと感じることはない。そのすべてが、人類の未来という大枠のなかに分類されて取り込まれるからだ。以前の私の基底的な興味は、人間とは何かということだった。それが老い先短い現在になると、人類の未来はどうなるかというテーマに収斂されて来ているのだ。自分の見ること聞くことのすべてが、人類の未来を考える素材に変わっているのである。

こんな茫漠たる問題を考えるともなく考えていると、ボケの進行が早まるらしく、自分でも合点が行かないヘマを次々にやってしまうようになった。

半年ほど前に、録画用のDVD−Rを買いに行って、データ用の50枚パックDVDを買ってきてしまった。データ用のものを使うことはあまりないので、苦笑いしながら開き戸の棚にしまい込んだ。それから何ヶ月かして、データ用のDVDが必要になったので棚を探してみた。すると、問題の50枚パックが煙のように消え失せていたのだ。

開き戸の中に仕舞ったというのは思い違いかもしれないと、二階のいたるところを探したが出てこない。やむを得ず、改めてデータ用DVDを買ってこなければならなかった。それと前後して、液晶テレビの説明書も忽然として消えてなくなり、そして最後に後期高齢者保険制度の保険証が消えてしまったのだ。いずれも、書斎として使っている六畳の洋間から消え失せたのである。

(この部屋は、魔法の部屋だな)と、もう笑うしかなかった。自分がボケ老人になったと感じてはいたが、これほどとは思っていなかった。

そのうちに一切が明らかになったのだった。私は階下の書庫にスチール製の戸棚を置いて、そこにソフトCDやパソコンで使うコード類を整理して仕舞っていた。ある日、ソフトを再インストールする必要が出てきたのでCDを取りに行ったら、戸棚の中にDVDの50枚パックがちゃんと鎮座していたのである。私は二階が機器類で溢れて飽和状態になった為、DVDを階下に移していたのだ。

私は六畳間に物が溢れると、それらを隣の八畳間に移していた。その八畳間も手狭になったと感じたために、DVDを階下に移すことにしたらしかった。だが、DVDを新しい場所に移すことを決めたところから先が、すっぽりと記憶から抜け落ちていたのだ。

すると、液晶テレビの説明書も階下の書庫にあるかもしれないと探してみると、それはマニュアル類を一括して積んである棚にあった。では、後期高齢者用の保険証はどこへ行ったのだろうか。確か、保険証の入った封筒をどこかに保存したことまでは覚えている。しかし、あれを階下に移したとは思えない。では、どこに仕舞ったのだろうか。

結局、保険証は行方不明になったまま見つからなかったので、市役所に出かけて再交付を受けた。

今度の老耄現象で分かったことは、年を取ると一連の思考、一連の行動のうちで、ある部分から先が完全に記憶から失われるということことだった。記憶が跡形もなく消えて、あとで自分のしたことが明らかになっても、まるで夢遊病者のように到底自分がやったこととは思えないのである。

そういえば、電気炬燵を出るときに無意識にスイッチを切って、そのことが記憶に残っていないので、改めてスイッチを切ることがある。

──考えてみると、こうした失敗のそもそもの原因は自室を物で溢れさせているからだった。今室内を飽和状態にさせている一切合切を片づけ、ノートパソコン一つだけにして、これをあちこち持ち歩くようにしたら混乱は起こらないかもしれない。私の再出発は、そこから始まるという気がするのである。