<漱石の「心」は、同性愛小説か?>
市川崑監督の「こころ」を見たのは、田舎の映画館においてだった。
ウィークデーの昼間ということもあって、館内には数えるほどしか観客はいなかった。こういうところで映画を見ると、まわりに気を使う必要がないから画面に没入できる。
主演の「先生」は森雅之、「K」は三橋達也、「私」が安井昌二という配役だった。最も目を引いたのは三橋達也で、これまで気の利いた今風サラリーマンを役柄にしていた彼が、沈鬱でストイックな学生の役を演じていたのだった。これまでの出演映画では、早口でぺらぺらしゃべっていた彼が、その口を閉じて寡黙になると、その風貌は悲劇的で重厚なものになった。
映画は原作を忠実にたどって進行し、「K」が自殺する場面になった。襖一枚を隔て隣り合わせの部屋で寝ていた「先生」役の森雅之が、夜中に目覚める。すると、就寝中は閉ざされている筈の襖が引き開けられて、隣の部屋が丸見えになっている。不思議に思って森雅之が隣室に入ってみると、三橋達也扮する「K」が喉をナイフでかき切って死んでいたのだ。
映画館を出てから、私は妙にこの場面が気になった。原作にこんな場面があったろうか。家に戻って「心」を読んでみると、映画で見たように襖は開け放たれていた。
(すると)と私は考えた。「K」は自殺する直前に「先生」と最後の別れを告げるために襖を開けたのではなかろうか。「K」は自らの弱さを思い合わせることで、自分を裏切った友人を許していたのだ。いや、以前から「自殺念慮」を抱いていた彼は、自殺に踏み切るキッカケを与えてくれた点で、友人の行動を許容していたのかもしれない。
「先生」は後年、乃木大将の殉死をスプリング・ボードにして自殺するが、「K」は親友の裏切りを踏み台にして自殺したといえないだろうか──。
「K」は真宗寺院の子に生まれたが、医者の家の養子になり、将来その跡を継ぐ約束で上京した。だが、彼は最初から医者になる気はなかったから、大学では文系の学科に進んでしまう。小説の主人公としては、先生よりもKの方がはるかに魅力的なのだ。漱石は「心」の主役を「K」にすべきだったのではなかろうか。
私はKを主人公にして次のようなストーリーを考えてみた。お嬢さんは最初「先生」に惹かれていた。しかし、「K」を知るに及んで、「先生」とは対照的な性格を持ったKに惹かれはじめる。お嬢さんがKを選んだことを知った「先生」は、先に叔父に煮え湯を飲まされ、今度はお嬢さんに裏切られて、すっかり生きることに絶望する。そして彼は失踪するか、自殺する。「K」はいろいろあった末にお嬢さんと結婚するが・・・・。
私がこんなことを考えるようになったのも、Kが自殺した夜、境の襖が開いている映画を見たからだった。ところが大岡昇平の「『こころ』の構造」を読むと、彼も境の襖に注目しているのだった。
<Kは「先生」と同じ下宿、つまり「奥さん」のうちの白分の部屋で、頚動脈を切って自殺するんですが、「先生」がそれを発見する場面は、枕元から吹込む風で目をさますと、Kの部屋との間の襖が空いている。蒲団がはねのけられていて、Kは向うへ突伏している。
びっくりして部屋に入り、遺書を読む、振り返って襖にほとばしった血にはじめて気がつく。また血です。ここで「先生」もまたKの血を浴せられているんで、Kが間の襖をあけておいたのは、先生を最初の発見者にするためでしょう(「『こころ』の構造」)> 大岡昇平は、Kが境の襖を開けておいたのは先生を最初の発見者にするためだったと書いている。この部分より少し前のところに次のような一節がある。
< 「私は今自分で自分の心臓を破って、其血をあなたの顔に浴せかけようとしてい るのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら 満足です」
「先生」はこんな風にその遺書を書き出しています。ここには師匠と弟子の間の伝授の関係だけではつくせないものがある。「私」が先生に近づこうとする気持を、先生は「恋」だといっている。全体として、奥さんは男同士の劇から除外されているので、外国では『こころ』は同性愛の小説として読まれているくらいなんです>
私は「開いていた襖」の問題よりも、外国では「心」が同性愛小説として読まれているという部分に注意を引かれた。成る程、そういわれれば、この作品にはその種の小説と取られかねない箇所がある。もし「心」が欧米の読者の信じるように同性愛小説なら、後述するように「開いていた襖」の問題も自然に決着するのだ。
日本人の読者には、「私」が「先生」に接近して行く過程に奇異な印象を受ける。「私」は「先生」に一目会っただけで惚れ込み、相手の私宅に押しかけて行くようになるのだ。これが男女の関係だったら、一目惚れという現象ですぐに納得されるが、男と男の関係だとなると、何だか変だという感じを受けるのである。
漱石は「私」が先生に惹かれた理由を、先生が思想的に、そして人格的にすぐれていたからだと説明する。しかし、残念ながら公平に見て、先生が思想的人格的に傑出しているとは到底信じられないのだ。先生は叔父に騙されて財産を奪われたとを深く恨み、正気を失うほどになっている。彼が全財産をだまし取られて路頭に迷っているのなら、その気持ちも分からないではない。だが、彼は働かないでも平均以上に豊かな生活を送りうるほどの金を、ちゃんと手に入れているのだ。
先生は自分の財産に執着するだけでなく、「私」の遺産問題まで心配して、くどいくらいに自分の取り分を確保しておくように忠告する。彼が何時までも失った財産に執着しているとしたら、そんな彼の思想を尊敬できるだろうか。それよりもっと重大な問題がある。先生がKの死について責任を痛感しているなら、何故そのことをひた隠しにして仮面をかぶり続けるのだろうか。罪を告白することを含めて、懺悔のための方法はいくらでもあるではないか。
先生は自らの罪を告白するとしたら、まず妻に対してすべきだったのだ。なぜ彼が死ぬまで無職で通したのか、そしてなぜ彼が毎月Kの墓まいりをするのか、その理由を説明しないまま死んで行くのは、妻に対するこの上ない不誠実な態度ではないか。妻の感じていたもろもろの不審の念をそのままにして死ぬとしたら、夫はよくよく妻を小馬鹿にしていたことになる。
先生は死を決意したとき、すべてを打ち明ける相手に「私」を選び、郷里に帰っている「私」を電報で呼び寄せようとした。そして、それが叶わないと悟ると、今度は本来妻に残すべき長文の遺書を「私」に宛てて書いている。これは先生を恋する「私」に、先生の方でも応えていたことを意味する。
先生と「私」の関係が、同性愛的だったとしたら、先生とKの関係はどうだったろうか。これもかなり同性愛のにおいが濃いのである。
先生とKは子供の頃からの仲良しだった。Kはすべての点で先生よりすぐれていたから、先生は常に奉仕する側に回っていた。
<Kは私より強い決心を有している男でした。勉強も私の倍
位はしたでしょう。其上持って生れた頭の質が私よりもずっ
と可(よ)かったのです。
後では専門が違いましたから何とも云えま
せんが、同じ級にいる間は、中学でも高等学校でも、Kの方
が常に上席を占めていました。私には平生から何をしてもK
に及ばないという自覚があった位です(漱石「心」)>
先生は「人間らしく生きる」ことを目指す自由人タイプだったのに対し、Kはあらゆる欲望を捨てて真理探究に打ち込むストイックなタイプだった。Kが養家を騙していたことがバレて送金を断たれ、実家からは勘当されたとき、彼は誰の助力も拒み、夜学の教師などをして独力で学業を続けた。
そのうちにKは心身共に衰弱してやつれが目立つようになった。あれほどタフだった男が急に激高したり、と思うと感傷的になったり、精神的な動揺が目立つようになってきた。Kには親しい友人が先生以外には一人もなかった。先生は唯一の友人としてKを放置しておけなかった。
先生は彼に自分の下宿に来るように誘った。だが、Kは他人の世話になることを頑として拒んだ。それで先生は、Kの前で跪くことまでして自分の下宿に連れてきたのだった。そして一緒に暮らすようになってからは、世話女房のようにKの面倒をみてやった。Kとお嬢さんを親しい関係にしてやったのも、先生だった。
Kが先生に対してお嬢さんへの愛を打ち明けたとき、先生は、「これからどうする心算か、将来への覚悟はあるのか」と反問する。Kの返事はこうだった。
< すると彼は卒然『覚悟?』と聞きました。
そうして私がまだ何とも答えない先に『覚悟、──覚悟なら
ない事もない』と付け加えました。彼の調子は独言のようで
した。又夢の中の言葉のようでした(漱石「心」)>
Kは自殺する覚悟なら出来ているという意味でこう答えたのだが、先生はそれをお嬢さんに愛を打ち明ける覚悟が出来ていると取って、慌ててお嬢さんと結婚させてくれと奥さんに頼むのだ。
──こういういきさつを見てくると、先生とKはお嬢さんの問題で対立しながら、相互の間に依然として同性愛的な友情が続いていたことが分かる。Kが境の襖を開けたまま死んだのは、大岡昇平がいうように先生に最初の発見者になってもらいたかったからだろう。しかし、その前に、Kは先生に別れを告げたかったのである。