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黒澤明が「どら平太」を作ったら

2008/7/9(水) 午後 2:43

<黒澤明が「どら平太」を作ったら>


昨夜はWOWOWで、市川崑監督の「どら平太」を見た。

平太がはじめて壕外(ほりそと)に足を踏み入れる場面を見ていたら、「七人の侍」の場面が思い出された。黒澤明の「七人の侍」には、野武士の襲撃に悩む村の百姓が、用心棒の侍を探しに出る場面があった。百姓たちが、道を通り過ぎる人々の中から強うそうな侍を物色する場面である。「どら平太」にも、それと似たようなシーンがあるのだ。

「七人の侍」には、通行人の中に肩をそびやかした痩せ浪人などが混じっていて、いかにも乱世らしい感じが出ていた。「どら平太」を監督するとき、市川崑はこれを念頭に置いて壕外の雰囲気を出そうとしたらしかった。だが、遊女や物売りや多彩な庶民を描こうとしてサービス過剰に陥った結果、路上の光景は単なる町祭りの一場面のようになってしまった。これでは凶悪なヤクザに支配されている町の、危険な気配が感じ取れないのだ。

「どら平太」は、エンタテイメントとしてはよくできた作品で、自分を「職人」と自称する市川崑作品らしい爽快な映画になってはいた。

ストーリーは、こんな風になっている。

江戸詰めの藩主のところに大目付の仙波義十郎から報告書が届く。国元の家老以下の重役が壕外(ほりそと)のやくざと結託して、法外の利を得ているという密書だった。そこで藩主は望月小平太を町奉行に任命して国元に送り込み、実情を調べさせることになる。

どら平太こと望月小平太は、国元の大目付仙波と徒士組目付安川半蔵の協力を得て真相探索に乗り出す。彼は壕外のヤクザを手なずけ、国元の家老らを追いつめて行く。だが、壕外のヤクザと家老たちを結びつけている仲介役が分からない。最後になって、その仲介役が大目付の仙波義十郎に他ならないことが明らかになる。

この映画の山場は、悪の巨魁が実は仙波義十郎であることを突き止める場面なのだが、それが何ともお手軽に描かれているのである。

全盛期の頃の黒澤明は、エンタテイメント的な要素と史劇的な悲壮美とを組み合わせて映画作りをしていた。彼は前者の要素が強くなって、作品にホームドラマ風の安手な色彩が出ることを警戒し、甘い情景を極力省いていた。それが行き過ぎて「影武者」「乱」などでは、史劇的な悲壮美だけに「特化」してしまい、作品そのものが痩せて貧しいものになったりしていたのだった。

「どら平太」の脚本は、「四騎の会」に集った四人の監督が共同で執筆したとされている。この脚本に黒沢明の手がどの程度入っているか分からないが、黒沢一人に書かせたら、浅野ゆう子の出てくる場面はなかったはずである。

どら平太は江戸にいた頃、遊女の浅野ゆう子と馴染みを重ねていた。この女が平太を追って国元までやって来る。そして、任を果たして江戸に帰る男のあとを又追いかけていくのである。映画は馬に乗って逃げる平太を、浅野ゆう子が追いかける滑稽なシーンで終わっている。

主人公に愛人を絡ませてメロドラマにすると、作品の悲劇性が削がれてしまうから、黒沢はメロドラマ仕立ての映画を作ったことはほとんどない。これは小林正樹の「切腹」についてもいえることで、作品に沈痛な感じ持たせるには、主役の男は「影より他に友はない」という孤独な人間でなければならないのだ。

繰り返すけれども、「どら平太」で一番まずいところは大目付仙波義十郎の描き方なのだ。

仙波は壕外のヤクザと城中の重職らを操る悪の巨魁でありながら、江戸面の藩主に密書を届けたり、と思うと平太を暗殺しようとしたりする。仙波の行動には、首尾一貫したところがないのだ。仙波は事が明らかになると、反撃に出る代わりに、直ぐに前非を悔いて切腹する。敵役がこんな安手な男では困るのだ。

主役を大きく見せるためには、敵役を大きくしなければならない。だから、黒沢は「用心棒」では、三船敏郎に配するに仲代達也をもってして、両者に死闘を演じさせたのだ。

職人市川崑は、「どら平太」を映画化するに当たって、観客の胃にもたれないような軽食風のメニューにしてしまった。しかし、ここは平太にもう少し汗をかかせた方がよかったのではないか。それから、仙波に密書などを書かせてはならず、彼の立場や行動の背景をもう少し練り詰めて描く必要があった。

このストーリーを映画化するには、やはり「職人」市川崑より「芸術家」黒澤明の方が適役だったのではないかという気がするのである。