甘口辛口

「愛国者」による非愛国的行動

2008/7/29(火) 午後 8:41
<「愛国者」による非愛国的行動>


日曜日には、TV各局が報道特集番組をやっている。それをとびとびに見ていたら、中学校学習指導要領の「竹島記述」に反対する韓国人を取り上げた番組があった。対馬市の市役所前に押しかけた韓国の退役軍人グループが自傷行為をしたというのである。

韓国人が、この問題で日本に抗議するのは結構だが、、反日パフォーマンスの方法として、自傷行為を繰り返すことだけは勘弁してもらいたいと思う。戦前に反日運動を行った朝鮮人のなかには、日本に対する抗議の印として自分の指を切断したグループがあった。伊藤博文を暗殺した安重根も、このメンバーの一人だった。こうした伝統があるせいか、反日運動を行う韓国人の中には、今でも自傷行為に走るものが絶えないらしいのである。

今回の自称退役軍人たちも、そうだった。

彼らは、まず、テレビカメラの前で、電気バリカンを使って互いの頭を丸刈りにして見せた。そして、自らの手を傷つけて、流れ出る血で抗議の言葉を布に血書した。

だが、彼らの意図に反して、これらの行動はあまり日本人をびっくりさせなかった。日本人にとっては、頭を丸刈りにすることなど個人の趣味の問題に過ぎず、取り立てて話題にするほどのことではなかったし、彼らが試みた血書は、血の量が不足していたため文字の体をなしていなかったからだ。手首をカッターで切る日本の娘たちの方がもっと盛大に出血しているのである。

要するに彼らのしたことは、愛国的行動として人を感動させるどころか、その反対の効果しかもたらさなかったのだ。対馬は、いまや韓国人の観光地になっている。そんなところに韓国人がやってきて一芝居打ったところで、マンガチックな光景として人々に面白がられるだけなのである。

この韓国人だけでなく、世の「愛国者」は皆何か錯覚していのではなかろうか。

彼らは国のために決死の振る舞いをして見せたら、自国民は感動してくれると考える。三島由紀夫の辞世も、そんな幻想の上に作られている。

   「散るをいとふ世にも人にもさきがけて
               散るこそ花と吹く小夜嵐」

愛国者の自傷行為も、同じような思いこみから出発している。だが、そうした思いこみが通用するのは生命が安価な時代のことであって、生命が至上の価値を持つ時代になれば、生命を軽んじるような行為はすべて嫌悪の対象になるのだ。

先進国の国民の間では、権力に抗議して焼身自殺したり、敵の本拠に向かってクルマに爆薬を積んで突っ込むような行動はほとんど見られない。生命や基本的人権が尊重される成熟社会にあっては、それがどんな崇高な目的のためであろうと、自他の生命を軽んじるような行為は忌避されるのである。世界の大半の国が死刑を廃止しているのも、この文脈から来ている。

わが国は、まだ、死刑制度を残していることでも明らかなように、人命尊重の念が先進国のレベルに達していない。だから、愛国者を気取る右翼が増殖し、長崎市長が暗殺されるような悲劇も起きるのである。

中国や韓国の後進性は、江沢民主席や盧武鉉(ノムヒョン)大統領が人心を懐柔するために日本を攻撃したことに現れていた。彼らは日本に対する民衆の反感を利用し、これを煽り立てることで政権基盤を固めようとしたのだった。

日本の歴代首相は、さすがに自制してそこまではやらなかった。一国のリーダーが他国に対する憎悪を煽るなど、政治家として最低の行為なのだ。しかし、この禁じ手すれすれの行動に出たのが石原慎太郎であり、麻生太郎だった。福田首相はその点慎重に行動してきたが、その彼も党内右派の要求を入れて中学校学習指導要領に無用の一節を書き加えるという過ちを犯してしまった。

竹島問題などは、日韓双方の政治家にとって「触らぬ神に祟りなし」の案件だったにもかかわらず、あえて火中の栗を拾ってしまったのである。

わが国の愛国者たちは、中国、韓国の反日運動に対して直ぐ過敏に反応する。中・韓両国の反日運動には、両国の国家としての未熟さや民度の低さから来るものが多い。アジア諸国より一歩先んじて近代化した日本は、理不尽な彼らの言い分も軽く聞き流すだけの雅量があってしかるべきではなかろうか。竹島などは、日本・韓国の双方にとって相手にくれてやっても何の痛痒も感じない離島なのである。

今後ますます重要になる日韓の二国関係を悪化させないためにも、両国の政治家はもちろん、マスコミもこの問題で自国民を無用に刺激しないように心がけるべきなのだ。ところが愛国者を自認するわが国の学者、評論家は、この時とばかりに対韓強硬論を弁じ立てる。

当ブログにたびたび登場してもらっている某京都大学教授の如きは、学習指導要領の竹島記述が揉めるのは、文科省が韓国に遠慮して妥協的な書き方をしたからだ、堂々と「竹島は日本の領土」と明記すれば問題は起きなかった筈だと放言している。この人物は、頭が少しおかしいのである。

明治以後の日本は、愛国者らによる対外強硬論を押さえ込んだときに発展している。西郷隆盛の征韓論が実行されたら、日本の近代化は50年遅れていたにちがいない。そして、自称愛国者らに押し切られ、国威発揚路線を選択したときに日本は惨めな敗戦を招いているのである。