<小泉の正体見たり>
先日の朝日新聞に甲斐徴という人の、「親ばか自認の世襲には落胆」という投書が載っていた。
<「日教組の子供は成績が悪くても先生になる」との中山前国交相の発言を聞いて、「政治家はどうなんだ」と思ってしまいました>
という投書である。私たちは、こうした自民党議員の放言を聞かされると、「自民党議員の子供は能力がなくても議員になる」と言い返したくなるのだ。
この投書の筆者は、政権を担当する世襲議員らの程度の悪さを皮肉っている。けれども、筆者の本当の狙いは、小泉元首相の最近の言動を批判することにある。小泉元首相は後継者に次男坊を指名し、自らの「親ばか」ぶりを満天下に広告しているからだ。
こういう小泉元首相に失望した選挙民は少なくない。彼は改革を唱え、「古い自民党をぶっ壊す」と声高らかに宣言していたのだから、自民党の宿弊である親子世襲というようなことはしないだろうと思われていたのだ。
彼の長男は政治家にならずに俳優になったし、彼自身も首相を辞めたら議員も辞めると語っていたという。だから、小泉家三代にわたる政治家稼業も、小泉純一郎で終止符が打たれるものと識者の多くが期待を込めて予想していたのだ。小泉純一郎には、私情を振り切って行動する強さがあるように見えたからである。
例えば、彼は離婚を経験している。
日本の政治家には、あまり離婚したものがいない。そんなことをしたら経歴に傷がついて、選挙に不利になるからなのだ。ところが小泉は、平気で妊娠中の妻を離別して実家に返すという無慈悲なことをしている。離婚の理由は、妻の実家が創価学会員であることを隠していたからだと言われているが、真相は明らかではない。どんな理由があるにしろ、妊娠中の妻を家から追い出してしまうというのは人間として許し難い行為ではなかろうか。
別れた妻は実家に戻って男の子を出産した。従って、小泉には息子が三人いることになる。しかし彼は、三番目の息子に終始冷たい態度をとり続け、その存在を黙殺し続けている。この息子は、小泉家に葬儀か何かあったときに父の家にやってきて参列していたが、小泉は彼に一言も声をかけなかったという。
小泉純一郎がいかに冷酷な態度を取ったとしても、それは家庭内の私事だから、脇からあれこれ言うことはない。明治期の首相黒田清隆は、癇癪を起こして妻を蹴殺したと噂されているのだ。
だが、彼が公人として、一国の宰相として、国民に冷酷な態度を取ったとしたら黙過することができないのである。
このブログで以前に小泉がゲリラに捕らえられた日本人青年に冷たい態度を取り、青年が斬首刑になるのを放置していたことを取り上げた。冷酷という点では、彼の「構造改革」もこれと同じなのである。
現在、アメリカに吹き荒れている金融不安の原因を単純化していえば、8年前のブッシュによる規制緩和政策と金持ち優遇税制にある。ここでは話題を規制緩和に絞って考えてみよう。
規制緩和というときの「規制」は、圧倒的な力を持つ大企業から中小企業を保護するための諸法令を指している。つまり、弱肉強食を防ぐための法令である。だから、この規制を緩和したりすれば、中小企業や地方企業が窮地に立たされるのは火を見るよりも明らかなのだ。
大企業は、こうしたブッシュの政策をうけて潤い、転がり込んできた利潤を設備投資に振り向けた。おかげで産業界は活気づいたが、やがて大企業は利益を証券投資などのマネーゲームに振り向け、金が金を生む投機に走るようになった。その結果、証券会社は空前の活況を迎えることになる。経営者の給与は鰻登りに上昇し、今度倒産した証券会社トップの年収は、55億円を越えるということになった。
だが、規制緩和によって大企業が弱小企業を痛めつけ、潤沢な資金を生産面に使わないでマネーゲームに振り向ければ、国内の生産能力は失われる。庶民の収入も減少し、住宅建設市場をはじめとする国内市場が冷え込むことになる。アメリカ経済は、規制緩和を発端とする不況で動きが取れなくなった。
ブッシュの政策は、当初、経済を活発にさせたように見えたから、竹中平蔵などはすっかりその信者になった。小泉内閣は、この竹中を重用して規制緩和による経済活性化に乗り出し、「改革なくして、成長なし」とPRし始めた。小泉は、規制を緩和すれば、弱小企業や地方に痛手を与えることを百も承知の上で、念仏のように「改革なくして成長なし」「聖域なき構造改革」というスローガンを繰り返したのだ。
小泉は白々しい顔で、国民に改革による痛みに耐えることを求めた。だが、改革による痛みは、国民全体に及ぶのではなかった。彼の改革は、それによって利益を得るものと、被害をうけるものの両極端を生み出す構造になっていたのだ。「痛みに耐える」立場に追いやられたのは、中小企業や地方、つまり大多数の国民であり、逆に恩恵を受けて大いに潤ったのは大企業と首都だった。
例えば、各地の商店は大型スーパーが無制限の進出してくるのを出店規制法によって阻止してきたから倒産しないで済んでいたのだった。だが、規制緩和で大型店が自由に出店できるようになれば、既存の商店はシャッターを下ろして閉店するしかない。
確かに消費者は、大型店の進出に道を開く規制緩和によって恩恵を受ける。だが、それも程度問題である。商店がつぶれ、在地の企業が倒産すれば、地方経済は成り立たなくなるのだ。
小泉改革とは、弱肉強食体制の再構築に他ならなかった。小泉の規制緩和によって日本でも国内市場がやせ細り、企業は市場を海外に求めるしかなくなっている。
政治家が一国の将来を見据えて、一見苛酷な政策を打ち出す場合もある。「鬼手仏心」ということもあるのである。小泉純一郎が私人としても、公人としても、「鬼手仏心」タイプの生き方をあえて実行しているなら、それはそれでいいのである。
だが、彼は国会解散を間近にひかえる時期に、選挙地盤を息子に譲ることを公表した。解散間近に引退を表明したら、対立候補は準備不足で立候補できなくなる。こうした方法は、これまで自民党議員が好んでやってきた狡猾な手法なのである。
地元に帰った小泉が、選挙民に次期選挙への自らの不出馬を告げる演説会の様子をテレビで見ていて、今更ながら彼の類いまれな才能に感心した。自分の引退がかねてからの政治信条に基づく公明正大な行為であることを説明したあとで、くるりと話題を変えて「親ばか」としての心情を砕けた口調で語り、聴衆の笑いを取っていた。それはほとんど詐欺師そっくりの巧妙な話術だった。
小泉は身内に甘く、それ以外の他者に冷たい詐欺師なのかもしれない。それが彼の正体なのではあるまいか、とテレビを見ていて私は感じたのである。